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2011年9月 6日 (火)

朝日朝刊の菅元総理への原発事故インタビュー記事。11年9月6日

以下に、朝日新聞の質問に対する菅氏の答えを要約する。

 初期対応の重要点、1号機のベント(排気)を実施するかどうかの判断は。

「原子力安全委員会、保安院、東電、全員がベント実施で意見は統一していた。そこで東電の担当者にその旨指示した。しかし、その後の経緯を聞くと、まだ行われていません、との返事でその理由説明もない。今もその理由はわからない。その時、現場との直接のコミュニケーションが必要だと思った。」

 3月12日にヘリで現場視察へ行ったが、危険だとの説明はあったか。

「特にはない。現場へ行った理由は状況が正確に伝わって来ないからだ。行って、福島第一原発の吉田昌郎所長に、ベントをやってくれ、と言うと、わかりました、やります、と承諾してくれた。」

 避難地域の設定を徐々に広げた理由は。

「原発事故の状況、どうやってそれを住民に伝えるか。夜間なら1軒1軒戸を叩いて知らせる人員をどう確保するか、総合的に判断した。原発爆発のリスクと、逃げ出す時のリスクを勘案しながら徐々に避難地域を広げた。その判断は今でもおかしくないと思っている。」

 3月12日の水素爆発の報告はすぐにあったのか。

「東電の報告は遅れた。テレビでは爆発の様子が写っているのに、50分後にも報告はなかった。全電源喪失の想定がなかったので、あらゆる想定が巧く行かなかった。」

 3月15日に東電が事故現場から撤退するという話しは本当だったのか。

「経産大臣からその報告があった。放置すればチェルノブイリどころの事態ではなくなる。私の頭には撤退はなかった。そこで東電清水正孝社長を呼んだが、撤退するのかしないのかはっきりしない。これでは危ないと思い、政府、東電合同の事故対策統合本部の設置を東電社長に提案すると彼は承諾した。その設置によって、情報の流れはスムースになった。」

 事故対応を巡り、米国支援を日本が断ったと言う話があるが。

「私のレベルで断ったことは一切ない。はじめから協力して欲しいとの姿勢だった。ただし、危ない場所だけ協力を、と言う訳にはいかなかった。」

 当時、東日本が潰れると周囲に漏らしたと言われているが。

「発言はしていない。シミュレーションとして、拡大して行けば関東圏まで入ってしまい、日本そのものが成り立たなくなる。原発への考えを変えた最大の理由はそこだ。」

 東電の中で話しが出来たのは誰だ。

「勝俣恒久会長とは何回か電話で話した。その時、できるだけ早く、海水注入から淡水へ変えたがよいと話した。」

 原子力安全・保安院はなぜ正確な情報を官邸に上げなかったのか。

「保安院は機能していなかった。法律からシミュレーションまで全電源喪失のような重大事故に地震と大津波は起きないことになっていた。保安院が事故直後に言ったことは後に殆ど変わっている。」

 経産省と意見がぶつかることがあったようだが。

「経産省は原発推進だ。だから私は環境省に原子力安全庁を作ると閣議決定した。脱原発依存の方向へ持って行ったが、後は国民の判断することだ。それについて野田新総理には人事のことなど含め一切言っていない。」

 九州玄海原発の再稼働を巡り海江田経産相と確執があったのか。

「経産省は再稼働の既成事実を作ろうとして、保安院がそのシナリオを作った。それでは国民の納得を得られないので、原子力安全委員会も関与するルールを作るように関係大臣に指示した。」

 経産省が巻き返そうとしたきっかけは浜岡原発停止だったのか。

「浜岡原発停止は海江田大臣から提案されたもので私が指示したものではない。経産省には、浜岡停止は仕方がないが他は停めさせないシナリオがあったのじゃないか。」

 浜岡原発停止は地震への危惧があったのか。

「そうだ。国の機関が地震の危険性を判断している。もし起きたら東京大阪が遮断され、大変な事態を招く。」

 なぜ、日本は安全神話を信じ、事故を防げなかったのか。

「一言で言えば同調圧力だ。例えば、原子力村で危険性を言うと、あいつは変わり者だと外されてしまう。役所も同じで、外されるのを恐れて皆は安全神話に同調して行った。」

 核武装の潜在能力を維持するために原発は必要との意見があるが。

「正式にそれを議題にしたことはない。いろいろなものの見方はある。」

朝日新聞は親菅政権と言われて来た。その辺りを念頭にこの要約を読んだが良いだろう。しかし、後で当事者たちから簡単に覆されるようなことは書けないはずだ。いずれにせよ、上記に対する反論を聞きたいものだ。

私的に一番興味があったのは、「核武装の潜在能力を維持するために原発は必要」の答えだ。短いやり取りだが、今回の原発事故の核心はそこにあったと思っている。何故ならば、40年前、米国が開発し完成間近のトリウム炉を採用しなかった経緯だ。その理由は、トリウム炉は原爆材料のプルトニウムを殆ど生産しないからだ。その戦略上の理由で扱いづらく事故の危険が伴うウラン燃料の現行炉がエネルギー源として採用され世界の主流になった。

潜在能力のために必要との理由が日本にあったのはとても興味深かい。核兵器放棄を日本は一貫して言って来たが、本当は潜在能力は維持したかったようだ。
日本の核兵器放棄を信じているのは日本国民だけだ。使用済み核燃料からプルトニウムを取り出すのは日本の技術ならすぐにできる。運搬手段はロケット開発で培っている。世界から見ると日本は潜在的大量核兵器保有国だった。

トリウム炉は圧力容器も水も必要とせず放っておけば停止する安全な原子炉だ。その上、理論的に廃棄物はウラン炉の1000分の1と言われている。現在、トリウム資源が豊富なインドと中国で開発が進んでいる。世界の埋蔵量はエネルギー換算でウランの1000倍と言われている。

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赤羽台団地。
美しい団地だが、数年後には味気ない白い真四角の建物に建て変わる。

H_3H_5H_6H_9H_8赤羽自然観察公園のキバナコスモス

キバナコスモスは茎がしっかりしている。  
最近、普通のコスモスより、こちらが増えたような気がする。下の新河岸川の護岸にも群生していて、夕暮れの光りの中では殊に美しい。


赤羽台団地隣の公務員住宅の駐車場入り口のミラーを使って撮った。
メガネはUVEX社製の99.7%紫外線遮断。
白内障予防のために外出に欠かさない。
首に巻いているのはリンネル。
水で湿し堅く絞って巻くと涼しい。
左は団地建て替え工事の塀。

住人が転居した無人の赤羽台団地のトロロアオイ。
やがて刈り取られ、工事が始まる。
カメラを構えていると、通りかかったおばあさんが花の名を聞いた。
そして、「寂しくなりましたね。」と消えて行く団地を惜しんでいた。

住まいの廊下をネコが歩いていた。
下の階の子だが冒険に来たようだ。

東京北社会保険病院庭の四葉のクローバー。
今日は探した訳ではなく、俯いて歩いていたら目に入った。

Ma_3

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