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2011年10月23日 (日)

最近、古い硬貨の発行年を見て、その頃を懐かしく思い出している。11年10月23日

今日は南風が吹き込んで夏日になった。秋は涼しいのが良い。
先日、財布の硬貨が貯まり過ぎたので整理していて昭和28年発行の五円硬貨を見つけた。「国」を始め旧字体なのが珍しい。発行から58年間流通していた硬貨で、様々な人の手から手へ渡って行った訳だ。その歴史を思うと感慨深い。

ちなみに、発行年は私は小学三年生だった。担任の先生はふっくらとした優しい女先生だった。1ヶ月ほど先生は肋膜炎で入院したことがある。日曜日、皆で隣町の病院に見舞いに行くと、とても喜んでいた。私がスカートめくりなどすると「マーちゃん、だめっ!」と先生によく叱られた。しかし、とても可愛がってくれた。先生は退院した後、体調がすぐれずそのまま退職した。

その頃母は40代前半でとても若かった。前年に朝鮮戦争が終わり特需景気も消えたころだ。父は土建屋をしていて、戦争初期に受注した公共工事が資材高騰のため大損害を被り、多大な借金を負った。その頃、家計を支えたのは母だ。母はコロッケを作り、隣町の油津に背負って行き店に置いてもらう行商をして、私たちを養った。その頃、連日、借金取りが押し寄せたのを記憶している。後年、私が母の介護ができたのは母の苦労を見て育ったからだ。

行商は利益が出ず、半年程で止め、代わりに機械編み機を買ってセーターを編んで母は稼いだ。当時は新しいセーターを買うのは希で、古いセーターの編み直しの仕事が沢山あった。都会暮らしが長かった母はセンスが良く人気があった。大の手芸好きだった母は編み物を楽しんでいた。更に、手編みより機械編みの方が上等とされていた時代なので母の思惑は当たったようだ。

父の失敗はそれからも続いて、借金取りはいつも押し寄せていた。育った漁師町は大人の借金を子供に当てつけるような土地柄ではなかったので、私は父には関係なく、のびのび育つことができた。

紙幣はすぐに入れ替わるが、硬貨の通用期間は驚く程長い。だから、2,30年前発行の硬貨を見つけるのは容易だ。昭和発行だと当時の自分の年齢がすぐに分かり、古い仲間に再会したような懐かしさを覚える。

余談だが、昔流行ったドラマ「高校教師」で繭ちゃんが羽村先生に公衆電話をかけていた時、硬貨が足りなくなった。その時、羽村先生から貰って大切にしていた自分の生まれ年発行の10円玉を悩みながら入れたシーンが懐かしい。今なら携帯なので、そのようなシーンは生まれない。携帯は世の中からドラマを少なくしたような気がする。

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 鈍色の 空に鋭く塔の影

荒川土手脇のこの建物は逆光で暗いが本当は明るいクリーム色だ。この位置から見上げると、北欧の風景のように見える。海辺の田舎育ちなので、地平線や水平線が見える風景が好きだ。それと風の音もいい。耳元を過ぎる風は、なぜに優しいのだろう、といつも思っている。

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 冷風に 命燃やせし秋桜

新河岸川河畔の遊歩道。これはキバナコスモス。一般のコスモスとは同属別種で交配は出来ない。

 風雨去り 破れ鶏頭 老い深し

桐ヶ丘都営団地で見つけた。ぼさぼさ頭で白髪まじりの髭をはやしているように見えた。
どこか凛として、それでいて飄々としているのが良かった。

ホトトギスの花。

桐ヶ丘都営団地は本当に多くの草花に出会える。赤羽自然観察公園より自然は豊かだ。

 客引きが 居眠りしそうな飲屋街
 胴長で 毛深短足 いい女

赤羽駅近くの飲屋街のワンコ。まだ早い時間で客はいない。
この後、小学生の女の子たちに取り囲まれて、さんざん可愛がられていた。

赤羽駅近くの商店街の殆どは閉店し、その跡は飲み屋に変わった。

 開脚の 芸見る客は誰もなし
 開脚の 右手の位置がちょと可愛い
 客なんか どうでもいいやと毛繕い

入り口のど真ん中で、一心に毛繕いしていた。右足の下は雑巾みたいに見えるが、灰色のフワフワの尻尾だ。

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