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2011年11月21日 (月)

鎌倉の円覚寺にお詣りして、横浜へ出て遊覧船に乗った。 11年11月21日

寒くなると、10年前に風に飛ばされたお気に入りのイタリー製ストールを思い出す。唐草を織り出したベルベットで、強風の日、首に軽く巻いて銀座並木通りを歩いていたら、飛ばされてしまった。色違いの褐色と藍色二色持っていたが、なくしたのは褐色の方だ。以来、同じような品を探したが、どこにも売っていない。女性用なら様々あるが男性用は輸入が少ないようだ。

しかし、なくしたことは私にとっては良かった気がする。今も思い出す程に思い入れがあったストールだ。なくせば代わりのものを工夫する。その工夫が私の運命を変えたと思っている。たとえば、人との出会いはほんのささやかなきっかけで生まれる。そのストールをなくしたことで、私の人脈も微妙に変化し、その結果が今だと思っている。もしなくさなかったら、母も私も違った運命を辿ったかもしれない。

残りの藍色のストールは今も使っているが、使い過ぎてあちこち痛んで来た。どんなに気に入っていても形あるものは滅びるようだ。

前回も書いたが、土曜日に母を献体した日医大から、遺骨の返納式は来年の11月にすると通知が来た。来春あたりと思っていたが、東北の大震災の影響で大幅に遅れたようだ。理由の詳細はなかったが、解剖学教室も被災されたご遺体の特定に協力したのかもしれない。

すぐに姉にそのことを連絡した。
「遺骨が戻って来たらちゃんとしなさいよ。」
姉は小言を言った。
「生きている時に、人の何倍もちゃんとしている。
できる余裕があるならそうするが、貧乏絵描きでは難しい。」
気持ちを抑えながら応えると、姉は不満そうだった。
菩提寺は博多中心部の古刹で、先祖代々の墓がある。私は不義理をしているが、他の檀家は裕福でお寺は鷹揚だ。しかし、母の元気な頃に永代供養を相談すると私の年収以上を提示された。それでは、母を供養することで私はホームレスになる。母は決して私の不幸を望んではいないはずだ。

O1O2借金を重ねて母に苦労をかけた祖母と父が死んだ時、私にはゆとりがあり、世間並みの供養をした。それなのに、一番苦労した母に世間並みのことが出来ない。その申し訳なさで一杯で、せめて冥福を祈ろうと日曜日に鎌倉へ出かけた。

写真は京浜東北線大船行きの鶴見辺りの車窓風景。

北鎌倉で下車して、母が好きだった円覚寺へお詣りした。
朝から暑いくらいだったが、山の冷気と自然の香りが清々しい。心の底からお詣りに来て良かったと思った。本堂の宝冠釈迦如来に手を合わせると少し気持ちが和んだ。賽銭は煩悩の数108円にした。その後、境内の野の花を見ながら散策して円覚寺を出た。

 落ちる日を 追いて更け行く寺の秋

午後3時、秋の日はつるべ落としで日は陰り始めた。暮れないうちに横浜へ出て食事をすることにした。4時前に横浜石川町に着いた。元町のコーヒー豆屋の喫茶コーナーで美味しいコーヒーを飲んだ。山下公園に着く頃には日はすっかり落ちていた。

O4

右下は戦前の太平洋航路の客船氷川丸。

港内の遊覧船の出発を告げていたので、慌てて飛び乗った。
横浜港の夕景色はすばらしい。みなとみらい地区の大観覧車のイルミネーションが七色に変化するのを眺めている内に船は沖合に出た。海は暗く、船の灯りを追って来たカモメが船に並走するように舞っていた。

お昼に出た頃はセーターにマフラーが暑くて気分が滅入った。しかし、冷たい海風が強く、丁度良くなった。船内には女性ボーカルのブルース風の唄声が流れていた。そのアンニュイな唄声を聞きながら夜の海に舞うカモメをぼんやり眺めていた。

 寒風に カモメ鳴き舞う夜の海

O12O13O16遊覧船は7時前に帰港した。
直ぐ目の前の横浜ニューグランドホテルに入った。中庭のクリスマス飾りのイルミネーションが美しい。傍らのレストランに入りコース料理を頼んだ。ここは格式張ってなくて、コーヒーやケーキだけの客も多く、コース料理もさほど高くはない。

私は母が好きだったテールの赤ワイン煮込みのコース料理を頼んだ。戦前、このホテルが建造された頃、母は定宿にして根岸の競馬場へ行ったり、元町の手芸材料店で舶来毛糸を買っていた。そんな思い出のホテルのテーブルに持参した当時の母の写真を置き、ボジョレヌーボーの赤を供えた。

メインのテールの赤ワイン煮込みは久しぶりに美味いと思った。私は自分の料理が一番美味いと思っている。だから、滅多に店の料理は褒めない。
美味しいので、最後は手で持って綺麗にしゃぶって骨だけにした。給仕の女の子は嬉しそうにナフキン類を次々と持って来てくれた。

7時半にホテルを出て、港沿いに作られたプロムナードを桜木町まで歩いた。終始、右手に横浜港の夜景が見えてとても気分が良かった。先日のディズニーシーは失敗だったが、今夜は成功だった。散策している女の子のグループに声をかけたり、かけられたりしながら、赤煉瓦倉庫を覗き、気分良く帰路に着いた。

楽しい1日になったのは、母がそうしてくれたのかもしれない。
これで、心置きなく明日から仕事に集中できそうだ。

Ma_3

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