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2011年11月 4日 (金)

酉の市は昭和へ遡るタイムマシーンの旅だった。東京都の震災瓦礫受け入れに大拍手。11年11月3日

宮古市の大震災瓦礫を東京に運ぶ作業が昨日から始まった。今まで、石原知事は右より発言が多く好きではなかった。しかし、今回は大拍手を送りたい。2000通程の批判メールや電話が都庁に殺到したらしいが、非科学的な抗議は無視して当然だ。僅か10通ほどの抗議で取り下げた腰抜け地方自治体ばかり中、東京都の判断は立派だった。これで、他の自治体の受け入れに弾みがつきそうだ。

県外搬出予定の瓦礫は殆ど放射線が検出されない安全なものばかりだ。それを一部学者たちの非科学的な言動に煽動された人たちがヒステリックに反応している。2日のNHK「あさイチ・福島キャラバン・放射能に負けない!」でも、道の駅で福島産果物の試食をしているレポーターに「安全でないものを食べてみせるのは非常識だ。」と抗議した者がいた。この試食も放射線が検出できないほど少ない安全な果物だから食べてみせたものだ。

昨日、先の学者は、福島原発で核分裂の時放出された極微量の放射性キセノンを早速取り上げ、ブログに核爆発が起きるから東京以北の住民の避難するように書いていた。彼は自分の言動によって、どれほど多くの人が心を病んでいるか知っているのだろうか。心だけでなく体まで蝕まれている人が身近にいるので、彼の無責任な言動には怒りを覚える。

R1R3R2R5R4R6R9R7R12R10R13R11R14R152日は酉の市に出かけた。今年はあと14日・26日と三の酉まである。

都電荒川線王子乗り場。
唯一都内に残った路面電車。王子から終点三ノ輪へ向かう。これから平成から昭和へ遡るタイムマシーンに乗る気分だ。

車窓から荒川車庫を撮る。
オレンジ色は昭和30年代に作られた7500形。クリーム色は7000形と思われる。今の都電とパンタグラフが違う。先が平らになったクリップみたいな形だ。その前はポール式で棒の先に車が付いていた。運転席も2枚のガラス窓。とても懐かしい。

都電の車内。
老人にはバスより安全な乗り物だ。車椅子や杖をついた乗客が多い。都電の正面は戦車並みに頑丈で、ダンプカーが正面衝突してもびくともしない。

終点三ノ輪の梅沢写真館。
この建物のアーケードを抜けて日光街道へ出た。昔の写真館のアーケードは賑わっていたが。殆どが店を閉め、今はおばあさんが一人、数部の新聞や週刊誌を細々と売っているだけだ。私がアーケードを抜けた時、店番のおばあさんは居眠りしていた。

竜泉辺りで、スカイツリーが窮屈に電線に縛られているように見えた。右へ少し行くと樋口一葉の一葉館がある。

写真は鷲神社の入り口。
本来、酉の市は鷲在山長国寺(じゅざいさん・ちょうこくじ)境内の鷲大明神社で行われた。明治の神仏分離令により鷲神社が独立し分かれた。酉の市は寺と神社それぞれが行っているが、神社の方が盛大である。会社が引ける6時以降になると大混雑する。

鷲神社入り口に、早い時間にも関わらず長い列が出来ていた。
隣り合わせた女性二人連れの一人はとても可愛かった。彼女もブログを作っているなど、ちょっとだけ言葉を交わした。グラマーで、肌が抜けるようにきれいで、歯並びと手がきれいな子だった。名前を聞けなくて残念だと今も仄かに思っているが、以前ほど、あとを引かなくなった。

私はいつも右端でお詣りし、右端で熊手を求める。最近、子供のお詣りがすっかりなくなってしまった。学校で時間規制をしているのかもしれない。

右長国寺の市は従来通り白熱灯を使っているので華やか。左は鷲神社の市で節電のためLEDライトで青白く沈んだ感じ。 LEDライトは冷たく気持ちが沈んでしまう。

酉の市から飛行神社へお詣りした。
こちらは航空機関係のお詣りが多い。人工衛星の管制室にこの神社のお札が祭ってあった。
境内のベンチで、ここで引いたおみくじを読んでいると、老人が「よろしいですか。」と挨拶して隣りに座った。丁寧な下町言葉で東京生まれだとすぐに分かる。老人は持参したカップ酒を飲みながら、浜町の生まれで81歳、子供の頃から酉の市に来ている、体を壊したけど酒は止められない、と問わず語りに話し始めた。離れて立っている連れの奥さんが「早く行きましょうよ。」と嫌な顔をしている。私は適当に相手をして、早々に辞した。おみくじは小吉。時間はかかるが今やっている事は必ず成就する、とある。大吉よりも嬉しい。おじいさんは別れ際、「また来年会いましょう。」と言った。互いに元気だったら良いのだが。

鷲神社裏手から浅草の観音様まで長大に夜店が続く。金太郎あめ屋は暇そうだ。店番は手持ち無沙汰に袋詰めをしていた。

花屋敷前の通り。昔の賑わいは消え、火が消えたようだ。右は初音小路。飲屋街だが殆ど人は歩いていない。

写真は観音様本堂から中門を撮った。
観音様の本堂は閉まっていたがお詣りは多く、こちらも行列ができていた。前のエリートサラリーマンらしき一団の一人が、おみくじで凶を引いたようだ。
「訴訟に巻き込まれる・・・」などと、読み上げて、気落ちしている。
「一昨年、昨年と連続6回凶を引いたけど、何ともなかったですよ。」
可哀想なので、慰めるとその人はとても喜んでいた。
「でも、足元には気を付けたが良いです。」
ご託宣は大切なので、念のために付け加えた。6回連続凶は本当で、その時は母が死んだりして本当にめげた。それでも、今も何とか生きている。

仲店手前の伝法院通り。
カメラを構えているとワンコが「なに、なに、」と一直線に近づいて来たので、ちょっと相手をしてあげた。母が死んで以来、動物や子供や老人に好かれるようになった。死んだ者の魂を動物や子供や老人は感じ事ができると言われている。今も母の魂がすぐ傍にいるのかもしれない。母も父も異常なくらい動物大好きで、どうしてと思っていたが、私と同じだったんだ、と思っている。

浅草から上野へ出た。
昭和の浅草から平成の上野駅に戻って来た。
まだ6時なのでアメ横へ寄って、いつものカワチ屋でパルメザンチーズ、オリーブ油、生アーモンド、練りゴマ1キロ、種有り干しプルーン1キロを買った。プルーンは赤ワインに漬けて食べる。種有りは香りが高いので好きだ。業務用のバンホーテン・ココアが1キロ1700円と格安だったが、カバンがパンパンになったので買うのを諦めた。

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