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2011年11月 1日 (火)

NHK大河ドラマ「花の生涯・青柳の糸」を見た。11年11月1日

先日、NHK大河ドラマ「花の生涯」初回・青柳の糸を見た。制作は1963年で私が受験のために九州から上京した年だ。

井伊直弼役は歌舞伎役者の尾上松緑。井伊家臣の長野主膳役は佐田啓二。当時は「スターを貸さない、借りない、引き抜かない」の映画会社間の五社協定があり、松竹の大スター佐田啓二の出演はほとんど不可能だった。それをNHKは熱心な説得で出演を承諾させた。それをきっかけに五社協定は有名無実になり映画スターのテレビ出演が急増した。 

淡島千景の演じた村山たかは井伊直弼の侍女だ。京都の勤王方の情報を幕府に流す役割もあり、勤王方に狙われ、後年、井伊直弼が桜田門外の変で果てた後、勤王方に捕われたが九死に一生を得た。維新後は尼に出家して明治明治9年に亡くなった。

「青柳の糸」は初回。当時、大変高価だった幅2インチのビデオテープは使い回すことが多く、当時のドラマは殆ど残っていない。大ヒットした大河ドラマでさえ、残っているのは「青柳の糸」と「桜田門外の変」の一部だけだ。

仕事をしながら「花の生涯・青柳の糸」を見ていたが、見応えがある名作だった。その大部分が保存されていないのは実に残念だ。
当時のビデオ編集はフイルム編集のように切って繋いだ。その技術は大変に難しく、一カ所の費用が3万ほどかかった。それは当時のサラリーマンの月収と変わらない。2インチ-5.08cm-ビデオの機械も巨大で小型自動車程あった。すぐに真空管からトランジスターに変わったが、それでも事務机程の巨大さだった。それを思うと、後年、家庭用ビデオを作った日本メーカーの功績は大きい。もし、家庭用ビデオが出現しなかったら、映像文化はまったく違う姿になっていたはずだ。

ドラマの村山たか役淡島千景の女らしさは見とれる程だった。振り返る仕草、しなの作り方、場面の一つ一つが絵になっていた。原作者・舟橋聖一が彼女を希望した訳がよく分かる。
今のハイテンポのドラマと比べると、万事のんびりしていて優雅だ。それが却って新鮮に見えた。


上京した私は芸大受験に失敗した。
浪人をするようにとの周囲の意見に逆らい、私は彫金師の道を選んだ。彫金は大変に景気の良い時代で、同年齢の若者の3倍は稼いでいた。しかし、彫金師として一生を終える気はなく、それで収入を確保して絵描きになるのが目標だった。

彫金の仕事はバブル辺りから密かに海外移転が進んでいた。大半の職人さんはそれに気づかず、業界が衰退することはないと過信していた。将来性はないと知っていた私はまだ景気が良かった43歳で突然に絵描きに転向した。

「どうして高給を捨てて、貧乏絵描きになるのか」
周囲はそのような目で見た。
しかし、母は先のことは一切気にせず、絵描きへの転向を心から喜んでくれた。
それから間もなく、業界は一気に衰退して、私は良い時期に転向したと皆に褒められた。

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 天空を 音無く流る雲の河

悠然と流れる雲の河にくらべ、下界はせせこましく騒々しい。

S2

 夕空に 神の巻き毛は麗しき

清楚で強く、人知を越えた美しさだ。

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 寒風と 梢と空のシンフォニー

木枯らしが吹き、カエデの紅葉が増した。
東京北社会保険病院。

見上げている一瞬、東京にいることを忘れてしまう。この自然の美しさは何も期待していない無心から生まれたものだ。

 秋の午後 ベンチの記憶は朽ち果てぬ

このベンチが設置されてからの長い年月を記憶している。この道に、私の人生が重なり、遠い日々が走馬灯のように蘇る。

 茅葺きに 優しく寄り添う秋ケヤキ

赤羽自然観察公園の古民家。

 草に落ち 土に眠りし青揚羽

秋になり、木枯らしが吹き始めた。あちこちで命の終わりを見つける。小さな生き物の最期は、どれも淡々として安らかだ。
自分を小さな生き物と思えれば、死は自然で淡々と受け入れられるのかも知れない。しかし、自我に支配されている人間は、その境地に達するのは難しい。

赤羽駅近く。この一角は40年前と変わらない。

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