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2011年12月 6日 (火)

誰もいない家に、黄昏時に帰る気分は重い。11年12月6日

昨日今日と素晴らしい青空と富士が見えた。この冷たい朝の空気は大好きだ。私のルーツは北方系かもしれない。紫外線に弱くすぐに赤くなって痒くなるので、夏でも長袖で過ごしている。同じように紫外線に弱かった母の体質を受け継いだようだ。だから、寒い季節は心地良い。寒風に身をすくめている人が理解できないくらい寒さは好きだ。

今日は午後から寒い雨になるらしい。雨に濡れた紅葉は殊に美しい。ダウンのコートをぬくぬくと着込み、マフラーをまいての散歩が楽しみだ。

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一昨日朝の富士。絵に描いたようなありふれた富士だが、何度見ても感動する。

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都営桐ヶ丘団地のポプラ。
仲良く並んでいる姿がとても美しい。

昨日は上野歯科医院へ、3ヶ月に1度の歯のメンテナンスへ行った。
若い女性歯科衛生士に丹念にクリーニングをしてもらっている内に眠ってしまった。野生動物のドキュメンタリーで小鳥がワニの口を掃除している映像がある。あの口をあんぐり開けて、気持ち良さそうにしているワニの気持ちがよく分かる。
毎食後、歯の手入れは丹念にしているので、今回も問題はなかった。何でもないと忘れているが、歯の悪い不快さはいやだ。だから、労を惜しまず手入れに励んでいる。

B2B3帰りは赤羽台団地を抜けた。
まだ4時前なのに黄昏れていた。これから冬至まで日に日に日暮れは早くなる。

団地は建て替え中で住人が去り、商店街の店は殆ど撤退してシャッター通りになっていた。

去年の春、まだ生きていた母の車椅子を押して商店街を抜けたことがあった。顔馴染みだった八百屋のシャッターの前で、店の老夫婦のことを母は案じていた。

その夏、母が死んでからすぐに、ガン入院していた八百屋のおばさんは死んだ。老夫婦に子供はなかった。後日、残された八百屋のおじさんに会うと「みんな逝ってしまって、寂しいね。」と嘆いていた。

そんなことを思い出しながら家路を急いだ。
シャッター通りには屋台が出ていて、50代のおばさんが大判焼きを焼いていた。人通りはなくなったが、建て替え工事が数年続くので、工事の人が買ってくれるのだろう。

急いで帰った所で、誰かが待っている訳ではない。喪失感は薄れたが、黄昏時に帰る気分は重い。しかし、急いで帰るのは母の介護の頃に身についた習性で、なかなかなおらない。

母が死ぬ少し前、「私は世界一幸せ。」とぽつりと言ったことがある。その時は何と大仰なと思った。しかし、今になってその意味がよく分かる。あれはお世辞ではなく本心だったようだ。今は、幸せな老後を過ごせた母が羨ましいくらいだ。独りになって、母と同じような充実した老後を送る難しさが少しずつ分かってきた。

母が今の私の歳の頃、毎日楽しく希望に溢れて過ごしていた。生活の不安はなく、一日中好きな手芸に打ち込み、旅行へもよく出かけていた。そして、車椅子生活になっても、世間の年寄りよりずっと幸せに暮らした。私は到底母と同じような老後は送れない。それどころか、母の老後の30年の半分も生きられそうにない。

そんなことを考えている内に住まいに着いた。
玄関を開けると暖房してあるように暖かかった。窓の断熱を完璧にしているので、昼間の暖かさが冷めずに残っているようだ。これを書いている深夜3時の今も室温は18度を保っている。この冬は暖房なしで過ごせるかもしれない。

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