福島への、放射線被曝差別は陰湿さを増している。11年12月9日
入院した福島原発吉田前所長は食道がんだった。現段階まで進むのに少なくとも5年はかかるので、3月の事故とは無関係だ。
大文字、花火、ゴミ処理などの公的な汚染地差別は少なくなったが、大衆レベルでの差別は陰湿さを増している。そのたぐいのネットを覗くと「福島はゴミ、消えろ、死ね、」などの差別語が飛び交っている。汚染地区からの避難民に石を投げたり罵声をあびせる。福島ナンバーの車を駐車場に止めさせない。そのような不愉快な事例を数多く耳にする。チェルノブイリでも同様の差別はあったが、ネット社会になった今の日本では大規模に起きているようだ。その根底にあるのは非科学的な無知によるものだ。
私自身は原発を必要としない世界を作るべきだと思っている。
今回の原発事故に関して、知れば知る程に過去から今に至る関係者に怒りを覚える。福島第一の場所は今回の津波被害に絶対に会わない崖上の台地にあった。事故現場の映像を度々目にしても、どこにも津波の痕跡はない。原発事故が起きたのは、安全な高台をわざわざ海面近くまで掘り下げて建設したからだ。理由は冷却用海水を台地に揚水するのにコストがかかると判断されたから。バックアップ用発電機が冠水して使用不能になったのは、二つの発電機をわざわざ冠水しやすい地下室に作ったから。ベントが遅れて水素爆発とメルトダウンを招いたのは、ベント用の弁が遠隔操作できるシステムになっていなかったから。緊急用の送電が出来なかったのは送電線が地震で壊れたから。それらが起きたとしても乗り越えられる安全思想は、安全神話と効率優先の大勢に圧殺されていたから。
そのように原発事故は明確に人災だった。しかし、東電や政府関係者は、無電源で働く蒸気圧を利用した冷却装置を作動させなかったことすら不可抗力だと責任を取ろうとしない。責任者に代わって非難や差別を受けているのは福島の被災者たちだ。大衆はスケープゴートを作り上げたがる。本当は責任者たちを対象にすべきなのに一番弱い庇護しなければならない被害者たちに石を投げつけている。
福島での30年間の低レベル被曝で増えるガンは1000人あたり数人と、さほど怖がる必要はない。そんなことを言うと政府や東電を擁護している非難される。その状況では冷静な科学的な意見は出てこない。この矛盾を解決するには原発事故と被曝を分離して考える他ない。
福島県民を総て他県へ非難させるべきとと言う者がいるが、そう言っている者たちはその莫大な費用を負担する気はない。結局は嫌でも大半の県民は福島に留まる他ない。
では、福島の低レベル被曝はどの程度の危険なのか。専門家は結論を出せないでいるが、様々な考えをまとめると、がん発症は交通量が多い環七沿線の大気汚染地区と一般住宅地の差くらいだ。しかし、福島県民の総てが、がん発症するような風評が流れている。一部の専門家も風評を増長するように煽っている。まずすべきは冷静に被曝を心配することだ。日本の科学力なら除染して安全に生活する事は可能だ。だから、今ほどの被曝が後30年続くことはなく、その間に除染や被曝防止策は進み、年々被曝量は減少するはずだ。
今程度の外部被曝ではほとんど問題はない。問題は内部被曝だ。チェルノブイリでは初期段階で食物の規制をしなかったために内部被曝を起こし、子供たちに甲状腺がんだけでなく免疫系や血管系の異常が増えた。それらは、後から持続的に清浄な食物を摂らせることで体内の放射性物質を激減させて防止できた。政府に必要なのはチェルノブイリの経験を生かす確固とした意志だ。
午前中雪が舞った。午後、大気はまだ冷たかったが、新河岸川にのどかな日射しが戻った。
ベランダから環八を撮った。日記を見ると、去年の今日より今年は紅葉が遅れている。
二度目の散歩へ出ると、満月が見えた。
写真は東京北社会保険病院の駐車場から撮った。
夕暮れ、富士の美しいシルエットが見えた。
左上に宵の明星が映っている。
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