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2012年1月 1日 (日)

おみくじの凶を大吉に変える方法。12年1月1日

災い転じて福となす。幸せと不幸は紙一重で、背中合わせにくっついている。
初詣のおみくじで凶を引いて滅入っている人は多いだろう。もし、凶を引いてしまった場合は、一般的にはおみくじ用の横棒や木の枝に結びつけて災いから逃れられるように願う。大吉でも結びつけて幸運が叶うように願うが、いつも大切に身につけておくのが良いとされている。

ところで、強力に災いから逃れられて、凶を大吉に変える方法が昔からある。
気にしている人は簡単なので試すといい。その方法は、利き手と反対の手、一般的には左手だけで横棒や木の枝に苦労して凶のおみくじを結びつける。難しい結びつけ方をすることが困難を克服することに通じ「災い転じて福となす」となる。

---私は猛練習の結果、左手1本で簡単に結びつけることができるようになった。しかし、楽にできてはせっかくの大吉転換効果が薄れそうだ。それで1本指で結びつけるとか、より難しい方法を考えているが、意味がない気がする---

かって私は浅草の観音様で六回連続凶を引いてしまったことがある。最初の凶は2002年十二月、浅草稲荷町の神具店でサカキの花立てを買ったついでに観音様にお詣りした時のことだ。
冷たい空っ風の吹く夕暮れにもかかわらず、観音様はにぎわっていた。
「ええーっ、凶だ」
本殿傍らのおみくじ売場の若者グループから大きな声が聞こえた。気の毒にと思いながら、私もおみくじを引いた。七十五番と良い数なので大吉を期待しながら引き出しからおみくじを取り出すと、なんと凶だ。以前、凶を引いた時、その数ヶ月後に祖母が死んだ。気になるので、再度、本堂の売り場で家内安全を祈ってからもう一本引いた。しかし、七番と良い数なのに再び凶。更に反対側のおみくじ売り場で引いたが、またもや凶。もう声も出ない。浅草の観音様は凶が多いと知っていたが、三連続ではかなり滅入り、これから起こるかもしれない凶事を悩みながら帰宅した。

「おかえり。楽しかった」
九十歳の母が明るい声で迎えた。
土産の切り山椒を渡しながら、凶のことは黙っておいた。

私か母に悪いことが起きるのでは、と気にしながら半年が過ぎた頃、不安は突然に現実になった。
通院していた板橋の病院で、母に進行した肝臓ガンと婦人科のガンが見つかった。その病院の技術レベルでは手に負えなかったので、すぐに、肝臓治療に優れている駒込病院へ転院させた。肝臓内科の担当医師は九十歳の年齢を考慮し、何もしないことを薦めた。母の寿命はこれまでかと覚悟したが、外科医にラジオ波治療が可能だ薦められた。通常は腹腔鏡で行う術式だが、母のケースでは難しく、開腹して目視下での施術になった。

母は度重なる開腹手術で術後腹壁瘢痕ヘルニアを起こしていて通常の開腹手術はできなかった。さらに、ヘルニヤ治療のメッシュを避けて脇腹を切り、癒着を剥がしながら患部へたどり着くのは、大変な難手術だった。しかし、手術は奇跡的に成功し、母は駒込病院での肝臓がん手術最高齢者記録を作った。

それから母は九十七歳まで元気に幸せに過ごして九十七、在宅で私に看取られて死んだ。
死の二十日前まで私は毎日、母を車椅子散歩へ連れ出していた。だから寝たっきりは一週間だけで、母は伝統的で安らかな自然死を迎えることができた。母が幸せな一生を終えられたのだから、おみくじの凶は大吉だったようだ。

次に凶を引いたのは母の四十九日が過ぎた頃だ。浅草観音様にお詣りしておみくじを引くと、前回と同じように三回連続凶を引いてしまった。この時はさすがに、次は私がガンに罹っているのではと不安になった。

だか今に至るまで、私は人一倍元気で、病の気配はない。仕事も奇跡的に絵が売れて生活できている。だからその凶も福に転じているのかもしれない。今はおみくじの凶は「足元に注意せよ」との神の啓示だと思っている。凶を引いた後、過信せず慎重に真摯に生活したことで幸せを引き寄せたのだろう。反対に大吉を引いて過信すれば、生活がいい加減になって失敗し、却って凶事を招くのかもしれない。本当に凶を大吉に転ずるには、その後、慎重に正しく行動することで叶うようだ。


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2012年、あけましておめでとうございます。

 哀しみの 青き風船とき放ち
        新たに迎ふ 夢見る年を

前年の三陸大津波への哀悼を込めて詠んだ。

大晦日は湯島天神で大祓を受けた。今は離婚しているが、姉は40数年前、湯島天神裏の旅館へ嫁いだ。嫁ぎ先は江戸時代からの氏子で、私も何となく半分だけ氏子みたいになり、お詣りするようになった。

D1D3D4D5上野公園の国立美術館。
「ゴヤ展」の看板の前を家族連れが急ぎ足で過ぎた。
ゴヤ自身は東洋の小国まで自分の名声が届くとは夢にも思わなかっただろう。人は生きている時が総てだ。死後にどれほど認められても本人には遠いできごとだ。

帰りはアメ横を抜けて上野駅に出た。
裏通りのエロ着の店。クレジットがきくのが可笑しい。

40年前に、間に合わせに買った超安物のお屠蘇セット。1年一回しか使わないので、今も新品同様だ。このセットを出す度に、1年の過ぎる早さを感じる。

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元旦
穏やかな天気だったが、午後やや強い地震があった。今年も気を引き締めよとの啓示だろう。

 厳冬の 夕日に凛と聖母像

星美学園。中に入ると警備が飛んで来るので、塀の上にカメラを伸ばして撮った。


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Goof

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