現代アートは新興宗教。それらが難解なのは中身がないからだ。12年1月20日
日本を代表する現代アート作家として村上隆氏がいる。旧聞になるが彼の巨大なフィギュアは約16億円で落札された。一般には、ルイ・ヴィトンの商品に使われたお花キャラクターなどのポップな作品群がよく知られている。
彼の作品の多くは日本のオタク文化や伝統文化をコピーしたもので、打ち震えるほどの斬新さはない。にもかかわらず彼は、自分の作品母体のオタク文化を含む「クールジャパン」を、朝日新聞紙上で、海外ではまったく認知されない文化で、広告会社が公的資金を得るために造り出した流言だと切り捨てていた。文化庁主導の「クールジャパン」については彼が言う通りだ。しかし、それが流言とか虚像とかはどうでもよいことだ。何故なら、現代アート自体も虚像だからだ。
人が素直に感動できるものが芸術で、人が感動できないものは芸術ではない。そして芸術は一般的に人が作ったものを示す。対して自然が作り出した神の芸術がある。神の芸術は人が造った作品に比べ、圧倒的な力強さと魅力がある。ハッブル宇宙望遠鏡が映し出した星雲など、比べることが恐れ多いほどの崇高さだ。
話を戻す。真の芸術は特定の権威ではなく、大衆の支持によって生まれた作品群を示す。さらに、100年も1000年も色褪せないことも、重要な要素だ。その意味で、殆どの現代アートは芸術の範疇を外れている。今ニューヨークの美術市場で100億で取引されたとしても、100年後まで、その価値を保つとは限らない。
その点、漫画・アニメなどは立派な芸術で、100年を経ても評価は維持されるはずだ。
対して、大衆文化をつまみ食いしたような村上作品や、その他多くの現代アートが100年後も生き残るのは難しく思える。漫画・アニメは、美術評論家の協賛に関わらなかったから価値がある。大地にしっかりと立つ力強さある。その点は江戸大衆の支持から生まれた浮世絵と似ている。だから浮世絵同様に、世界美術史の重要な位置を占めるはずだ。
私は現代アートは新興宗教だと思っている。キリスト教、仏教、イスラム教などの大宗教は、人間の本質から生まれ、その教義は誰でも素直に理解できる。しかし、新興宗教は違う。大衆をマインドコントロールし、奇をてらい、恐怖心を煽って人心を取り込もうとする。だから支持者たちが、或る日突然に「夢から覚めて潮が引くように」消えてしまうことがある。
現代アート作家も、新興宗教の教祖と似たことをしている。以前、村上隆氏のドキュメンタリーを見た。彼のプレハブ作りの作業場は、まさしく新興宗教の修行場で、彼は盲従する多くの若い弟子たちを恫喝し洗脳していた。と言っても、情けないのは村上隆氏ではない。彼に盲従する若いアーティストたちだ。権威に逆らい自由であるべき彼らが、村上隆氏に縋ろうとしていることだ。
新興宗教に例えれば、現代アートの神殿は美術館や有名画廊だ。神官は画商で、教典を作り上げる学僧たちは美術評論家だ。そして、信者はコレクターたちだ。新興宗教と現代アートの違いは、神官たちが絶大な力を持っていることだ。具体的には、ニューヨークのユダヤ人画商たちがその神官にあたり、今はそれに中国人画商が加わった。
大半の有力画商やコレクターたちはユダヤ人だ。彼らへの偏見は皆無だが、巨大な財力と卓越した資産運用能力があることは事実だ。かって日本のバブル期に、ニューヨークのような美術市場が芽生えかけた。しかし、日本の画商たちが資力を十分に蓄える前にバブルは弾け、二度と訪れない貴重なチャンスは泡と消えた。
画商に巨大な資力が必要な理由は、売った作品の買い戻しの商習慣があるからだ。例えば、バブル期に有名作家の作品を1億で買ったコレクターが、バブル後に売ろうとしたら、1千万でも売れなかった話を幾度も聞いた。その結果、日本の金持ちたちは日本の美術市場から逃げ出し、海外で国際価格のつく作品にしか投資しなくなった。
投資先の一人が村上隆氏で、他にも現代アート作家が幾人いる。彼らより盤石な国際的な作家たちは明治以前に綺羅星のように輩出している。北斎を代表とする浮世絵作家たち。雪舟、若冲、蕭白などの画家たち。運慶、快慶などの仏師。無名では縄文土器・土偶に埴輪。それらは数え切れないほどに多彩だ。
話を戻す。現在、現代アート作家の可能性がある人は、世界に80万ほどいる。その内訳は、無自覚に優れた現代アートを生み出している無名の一般人。アフリカなどの辺境で呪術的作品を生み出している人。現代アートの才能がありながら、諦めているデザイナー、イラストレーター。それら全てを合計すると、軽く80万を超える。その中で、理論武装が斬新堅固で切れの良い作家は5000人程だ。各国のギャラリストはその中から少数の若い作家を選び、ニューヨーク詣でをする。ギャラリストに選出されなかった若者たちは、自らニューヨークへ出かけて売り込む。ニューヨークの画商(神官)たちは彼らを審判し、美術評論家と有力コレクターたちの協力を得て、年間一人か二人の教祖が生まれる。
選ぶ基準は、理論武装がしっかりしているとか、カリスマ性があるとかだ。美術評論家に助言されたユダヤ商人やコレクターたちは、直感で作家を適当に選ぶ。その時、彼らが最高の芸術家である必要はない。5000人の候補者たちはそれぞれに優れた才能があり、誰が選ばれても、口先巧みな美術評論家たちによって巨匠に仕立て上げることができる。
北斎や、歌麿や、写楽は、江戸市民の熱い支持から生まれた。対して、現代アートの巨匠たちは大衆の支持から生まれたのではない。画商と美術評論家と有力投資家の共同作業で仕立て上げられた。
作家志望の若者たちは直接か代理人を立ててニューヨークの神殿に詣で、神官の気を惹くために目立つパフォーマンスを繰り返す。それは、オーストラリアの青いプラスチック片や小枝でモダンなオブジェを作って、メス鳥の気を惹くオス鳥の行動と似ている。と言っても、純粋無垢のオス鳥たちに比べ、現代アーティストたちのパフォーマンスや作品はやや薄汚れて不純ではあるが・・
かくて偶然(幸運)に選ばれた作家は、神官と信者が豊富な財力を駆使して、神殿に新たな教祖として祭り上げられる。先述した村上隆氏もその運の良い一人だ。
選ばれた作品は莫大な財力を持ったユダヤ人グループが保証する有価証券化し、強欲な投機家たちが争って買うことになる。実際、選ばれた作品が短期間で10倍100倍に高騰することは珍しくない。このシステムは政府がお札の価値を保証しているシステムと似ている。違いは、作品は年々価値が上がるお札で、金持ちたちにとって、こんなに好都合な投資対象は他にない。だから現代アートは、うさん臭く強欲な錬金術に奉仕する新興宗教ときわめて類似している。
そうは言っても、村上作品など選ばれた現代アートを熱烈に支持する人は確実にいる。なぜなら、システムの選考に漏れた同程度の作家たちが人目に触れることがないからだ。もし、歴史から消えて行く膨大な作品群を目にする機会があったら、今、評価されている現代アートが、最上のアートではないと気づくはずだ。
内容空疎な新興宗教である以上、教祖、神官、有力信者たちは様々な手を使って権威を保とうとする。村上氏が朝日新聞でクールジャパンを批判するのも、その象徴的な行動だ。しかし、作品の中身が空疎なことは作家自身は薄々気づいている。だから常に突っ張って権威を保とうとする。しかし、空っぽのものを中身が詰まっているように理論武装し、戦い続けるのは大変なストレスのはずだ。
では、鑑賞する人はどのようにアートに接したら良いのか。
マネーゲームに明け暮れる米国の神官や信者たちに同調せず、それぞれの審美眼に従って行動し、気に入った作家を自由に発掘すればいい。多くの美術愛好家がそのように行動すれば、北斎や歌麿や写楽が生まれたように、自然に千年は残る本物のアートが生まれるはずだ。
幸い、今はインターネット時代だ。少し以前なら不可能だったことが、テクノロジーによって個人が膨大な作品を閲覧することが可能になった。近未来にはデイスプレーはさらに進化して、素材感まで再現する立体像を鑑賞できるようになるはずだ。もし、作品を手に入れたい場合は、高性能3Dプリンターで再現したり、データとして安価に手に入れることができる。ニューヨークの錬金術師たちに惑わされず、大衆一人一人が自分自身のために巨匠を選ぶ時代はすぐそこまで来ている。
芸術に序列をつけることは不可能だ。スポーツなら誰が一番早いか明快に決められる。数学や科学も、どれが優れた発見かは明快に分かる。
しかし、芸術には物差しがない。勝手に誰かを一番にしても、何の不都合もない。だから村上氏などを、巨匠の一員に加えることに何の不都合もない。
これからは大衆が、勝手にそれぞれが好む巨匠を選ぶ時代が来るはずだ。もし、好みの作家がいないなら、自分自身を勝手に巨匠に仕立て上げればよい。
すでに、商業美術とファインアートの区切りはなくなった。「政府は芸術振興のために金を出せ」との意見が美術愛好家の間に根強くある。ある意味でそれは正しい。しかし、公的資金が出れば必ず不正に利益を得ようとする者が現れ、芸術本来の力強い自律性は弱まる。
その点、経済原則に従った商業美術には不正が入り込む余地はない。東京の街角に出てみれば、商業美術の素晴らしさを実感する。街角は自由なアートに満ち溢れている。街の一角を切り取って、美術館に展示すれば、既成の美術作品を凌駕する感動が得られるだろう。
この分野でも、インターネットは優れた機能を発揮する。工事現場、湾岸の工場群、廃墟、それらのありふれた建造物に芸術性を見出す行為そのものがアートだ。すでに21世紀アートでは、見出すこと自体が創作の一分野として評価されている。芸術に権威や既得権勢力の口出しは不要だ。放置するだけで、大衆の中から自然に優れた才能が発芽して成長する。20世紀に人生の大半を費やした我々の目には、21世紀アートは、羨ましいほど自由だ。
近年、シンギュラリティへ向かってAIは凄まじい勢いで進化し続けている。
そうなれば、誰でもAIを使って、自在に絵画を描く時代がやって来るはずだ。
その時、絵を描く技術は意味をなくしてしまう。
新時代では、画家は個性に著作権を設け、AIからロイヤルティを徴取して生活するようになるだろう。新時代では個性のない、ただリアルなだけの画家は淘汰されるはずだ。
最後に作家の制作姿勢について・・絵描きを目指したら、世相に右往左往しないことだ。若手のだれそれが5000万で売れたと聞くと、若い作家たちはその作品に引きずられ同調してしまう。それは愚かなことだ。何が幸せかを常に自分に問い続ける。他人に時代遅れと言われても妥協せず、好きな作品を作り続けて自分自身の人生を全うすることが大切だ。新規さに拘るあまり、作品の熱量を失っている若手がとても多いのは極めて残念だ。
日本での絵需要が少ないのは、絵を飾るのに適した壁面が少ない住環境にある。日本で売り絵のみで生活を維持しようとすると、ほとんどの人は挫折してしまう。ニューヨークで売れない絵描きをしている知人は「ごく普通の人でも絵を欲しがる。だから、日本ほどに極貧に追い込まれることはない」と話していた。例えば、彼が住まいの水道修理を依頼した職人さんは、20万円程の絵を修理費代りに欲しがった。当然ながら、彼は喜んで作品で支払った。
欧米では、普通の住居でも、通路の壁まで写真とか絵が飾ってある。欧米での売り絵の単価は安いが、日本とは比べられないほど多量の需要がある。しかし、日本の住宅はそのような構造ではない。10号の小品でさえ飾る場所は少ない。一番売れるのは6号ほどだ。しかも、壁の構造が絵を飾るように頑丈にできていない。売れっ子の知人が80号の絵を納品したら、石膏ボードの壁が20キロほどの作品重量に耐えられず、落下して破損したと嘆いていた。
住まいから妙義方面を遠望する。
妙義より オレは偉いと送電塔
赤羽自然観察公園、管理棟前の広場。
冬日射し 母子優しく かくれんぼ
幼い子供が可愛い声で「もーいーよ」と母を呼んでいた。
母親と話す子供の声は天使の声だ。耳にする者たちの心を暖かくする。
東京北社会保険病院下の冬木立。
ぼんやりと木立を見上げながら、67歳になった記念写真を撮った。
上野駅 アーチの下の 群れ寒し
上野駅で英国での心理学学会から帰国した知人と待ち合わせして、土産を受け取った。
その後、湯島で開催されている「伝統技術の継承」交流会に参加した。
別業種の技術者たちと歓談できるのは、とても楽しい。
おばあさんが小さな段差を越えられず立ち止まっていた。
「大丈夫ですか」
声をかけると「そう思うなら、手を引いてくれ」と言う。
それで、手を引いて坂上まで連れて行った。
「今まで、困っていても声をかけられたことはなかった」
彼女は手を引かれながら話した。
今はおせっかいが町から消えた。
昔が総て良いとは思っていない。
昔、どの町内にも必ずいた「おせっかい」は、戻って欲しい人種の一つだ。
もしそうなれば、公的負担は軽減し、本当に必要な人への福祉は充実するはずだ。
近況・・・絵本「おじいちゃんのバス停」を完成させて、Amazon Kindleの電子図書 にてアップした。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B79LKXVF
Kindle Unlimited 会員は0円で購読できる。
上記ページへのリンクは常時左サイドに表示。画像をクリックすればKindleへ飛ぶ。
絵本の内容・・おじいちゃんのバス停・篠崎正喜・絵と文。老人と孫のファンタジックな交流を描いた絵本。
おじいちゃんは死別した妻と暮らした家に帰ろうとバス停へ出かけた。しかし、家は取り壊され、バス路線も廃止されていた。この物語は、20年前に聞いた知人の父親の実話を基にしている。対象は全年代、子供から老人まで特定しない。物語を発想した時、50代の私には77歳の父親の心情を描けなかった。今、彼と同じ77歳。ようやく老いを描写できるようになった。
概要・・初めての夏休みを迎えた小学一年生と、軽度の認知症が始まったおじいちゃんとの間に起きた不思議な出来事。どんなに大切なものでも、いつかは終りをむかえる。終わりは新たな始まりでもある。おじいちゃんと山の動物たちとの、ほのぼのとした交流によって「終わること」「死ぬこと」の意味を少年は学んだ。
描き始めた20年前に母の介護を始めた・・このブログを書く8年前だ。
絵は彩色していたが、介護の合間に描くには画材の支度と後片付けに時間を取られた。それで途中から、鉛筆画に変えた。鉛筆画なら、介護の合間に気楽に描けた。さらに、水墨画に通じる味わいもあり、意外にもカラーページより読者に評価されている。それはモノクローム表示端末で正確に表現される利点がある。
| 固定リンク
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 第7回日展の工芸美術に日本の生き残りの道筋が見えた。令和2年11月3日(2020.11.03)
- 昭和30年代町風景。楽しい子ども花火大会。秋の色。令和2年10月26日(2020.10.26)
- 「風の音」シリーズの老いの世界に達し、嫌なことと嫌な人との付き合いを止めた。令和2年10月23日(2020.10.23)
- 去年始めに放映されたEテレ「宮澤賢治・銀河への旅-慟哭の愛と祈り」を再生した。コロナ禍の憂鬱な世相の中、賢治の言葉に不思議な励ましを感じた。令和2年9月27日(2020.09.27)
- オリンピック・エンブレム・デザイン候補4作品の当落予想。16年4月11日(2016.04.11)