« 現代アートは新興宗教。それらが難解なのは中身がないからだ。12年1月20日 | トップページ | 日本家電の顔・テレビが韓国メーカーに蚕食されようとしている。12年1月27日 »

2012年1月25日 (水)

リンパ節郭清後の浮腫について、NHK番組。12年1月24日

NHKEテレビ、福祉ネットワーク・シリーズ・がん共存時代を生きる「リンパ浮腫難民を救え」を興味深く見た。
子宮がんや乳がんの手術の後遺症「リンパ浮腫」は発症率が高いが、治療が十分に普及していない。浮腫の原因は乳がんや子宮がん手術時のリンパ節郭清によるものだ。リンパ節はリンパ液のポンプの役割をする。それを取り除いた結果、手足のリンパ液が還流せず、深刻な浮腫を起こす。

番組での症例写真は手足が数倍に膨れ、とても日常生活が送れる状態ではなかった。それにもかかわらず、外科医の多くが浮腫治療に熱心ではなかった。命が助かったのだから、それくらいの症状は我慢すべき、が医師の意識だ。加えて医療制度の不備も多い。浮腫みを防ぐ圧迫ストッキングは2万円程と高価で、2008年からやっと保険適用を受けられるようになった。まして、手間のかかるマッサージ治療は手つかずの状況だ。ちなみに、術後のリンパ浮腫は年間1万人も発症している。

10年近く前、90歳の母が駒込病院で婦人科のがん手術を受けた。
その手術前に、予防的にリンパ節を廓清するかどうか担当医に決断を求められた。明確なリンパ節転移はないが、顕微鏡レベルの転移の可能性は20パーセントだった。それだけの情報で決断するのは難しく、同意書署名は手術前日まで延ばして貰った。

90歳の老人と壮年ではリンパ節廓清の意味は大きく違う。廓清した後の不具合と、取らずにガンを転移させた不具合を冷静に比較判断しなければならない。はっきり転移が認められているなら、リンパ節郭清をお願いする。しかし、健康なリンパ節を予防的に取ってしまうのは絶対に避けたい。この判断を誤ると、母の余生は苦痛に満ちたものになる。

その頃、母は腰痛を克服し、少し歩けるようになっていた。しかし、リンパ節を廓清すれば足に浮腫を起こし、浮腫予防の圧迫ストッキング着用、リンパ液還流のためのマッサージと苦痛を伴う対処をし、歩けなくなる。

病院から帰宅するとすぐに、徹夜で600程の関連サイトに目を通した。その結果、私は母の命を80パーセントのリンパ節転移無しに賭けた。
郭清は止めることにしたが、その決断は大変な不安を残してしまった。明確な転移が見られない場合のリンパ節廓清の是非の判断は大変難しい。しかし、現在の手術の多くは、転移の考えられる総てのリンパ節を予防的に取り除くことが多い。

上記の欠点を補う方法として、転移の恐れのあるリンパ節だけ取り除くセンチネルリンパ節生検がある。現在、欧米で主流になりつつあるが日本では普及していない。センチネルリンパ節とは歩哨,見張りリンパ節の意味。がん腫瘍から遊離した癌細胞が到達するリンパ節を特定して、転移の可能性の高いリンパ節だけ取り除く郭清術である。

その適応が多い乳ガンで説明すると、インジゴカルミンなどの色素、あるいは放射線同位元素を腫瘍周囲の皮下2,3箇所投与し、数分間マッサージを行う。10分後、腋窩部に小切開を加え、脂肪組織内に青染されたリンパ管またはリンパ節を特定し廓清する。ただし、先進医療なので、乳がんと悪性黒色腫以外は全額自己負担になる。

手術前日、私は担当医にリンパ節廓清はしないように頼んで手術承諾書に署名捺印した。執刀医は目の前で手術計画書のリンパ節廓清の箇所を赤ボールペンで削除してくれた。駒込病院では、手術前に手術内容を詳細に記した承諾書を患者と取り交わす。それまで他病院で、数多く手術承諾書にサインしているが、総て、手術の結果に対していかなる不服も申し立てない、と患者側に不利なものばかりだった。比べると、駒込病院の制度は患者の意見も尊重する先進的なものだった。

鼠径リンパ節廓清をしなかった母は97歳まで長生きし、死の10日前まで散歩へ連れ出すことができた。もし廓清していたら、下肢のリンパ液の還流が停滞して、象の足のようにむくんで歩行は難しかった。更に、浮腫み防止圧迫靴下の常用と、つま先から太ももへのマッサージも欠かせず、大変な苦痛に晒されていたはずだ。

更に、毒素をせき止めるリンパ節が無いので、蚊などに刺されると一気に全身へ毒素が散らばり重篤になる。そのような予後を思うと、母はリンパ節廓清していたら、すぐに寝たっきりになって早く死んでいただろう。

リンパ節廓清について、以前興味深い記事を読んだことがある。日本のがんセンターと米国の研究で、明確なリンパ節転移の見られないステージのがん患者に於いて、予防的リンパ節廓清したグループとしなかったグループの間に延命効果の差はない、と言うものだった。

M1

本格的に雪が降った。
朝日に、富士がくっきりと見えた。カメラをかまえる体が氷点下の風に揺れた。

M0

星美学園脇の師団坂から雪が残る赤羽台方面を撮った。

M2M3M4M5M6雪前の赤羽自然観察公園。右手の建物は古民家。

いつものように座敷に上がって横になった。
白熱灯が暖かいが、暖房はなく外気と同じくらい寒い。しかし、散歩で汗ばんでいて冷たい畳が心地良かった。

 母逝きて 寒い畳に寝て想う

母が生きている頃、土間に母の車椅子を置いて昼寝をした。寝ていると、ふと、母が土間にいるような気がした。

夜半から氷雨が雪に変わり積もり始めた。
深夜2時、カメラを持って外へ出た。
駐車場脇の電話ボックスが人待ち気に見えた。最近は滅多に利用する人はいない。

 夜の雪 公衆電話は 優し気に

昨日、雪が降る前の散歩の時、郵便局近くでニャンコに会った。
最近訃報が多い。
郵便局へは香典を送りに出かけた。

 寒いねと ネコと目が合う雪の朝

同じ階の子供のいる家の玄関前。
小ちゃな雪だるまが可愛かった。

 雪だるま とろけて眠い冬日射し


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

« 現代アートは新興宗教。それらが難解なのは中身がないからだ。12年1月20日 | トップページ | 日本家電の顔・テレビが韓国メーカーに蚕食されようとしている。12年1月27日 »