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2012年2月 2日 (木)

「ALWAYS 三丁目の夕日」に癒されたあと、無性に人と話したくなった。12年2月1日

31日午後6時、3日かかりで終えた仕事を銀座で納めた。その後、無性に映画が観たくなったので「ALWAYS 三丁目の夕日」の上映館を探した。

有楽町マリオンを抜けると、ニュートウキョウビル壁の三丁目の夕日の看板がすぐに目に入った。上映は3階の東宝シネマだ。クラシックな螺旋階段を上って1000円のシニア料金で指定席を取った。ここは2C上映館で私向きだ。3Dはシニアには目がチラチラして疲れる。

A12A13入り口ホールは暖色系のアールデコ調で心地良かった。待ち時間、売店で映画のロゴ入りのタオルハンカチを買った。母が死んで以来、私は昭和を背景にした映画を見ると涙もろくなるので必須だ。

 さあ泣くぞ 準備万端 "三丁目"

ハンカチは入館料より高い1005円だった。
前方で男性が女性と抱き合っているように見えるが、暗くてシャッター速度が遅く、脱いだコートが不気味に写ったものだ。

開場した時はガラガラだったが、観客は次第に増え3割ほど埋まった。それでもかなり空いている。

模型飛行機が東京タワーの見える都電通りを飛んで行くシーンから始まった。どれもはっきりと記憶している風景で、懐かしさに涙があふれた。当時の写真を元に作られたCGは実に精緻で、昭和39年の東京にタイムスリップした心地だった。

当時の日本は今と比べると貧しかったが、子供も若者も多くて活気に溢れていた。今の東南アジア辺りの元気の良い新興国に似ているかもしれない。
当時の大人は戦争で生き残った人たちで、少々荒っぽいが、勤勉で優しかった。一生懸命働けば必ず報いられると信じ、夢にあふれていた。町内には必ずおせっかいのおばさんやおじさんがいて、私のような田舎者を親切に世話してくれた。

ストーリーは前作同様、鈴木オートと茶川竜之介の絡み、鈴木オートの工員六ちゃんの結婚と、人情喜劇が繰り広げられた。そこにへんな芸術映画ぶったひねりはまったくなく、実にストレートに泣ける映画だった。右側の席の若い女性の二人連れは、時折、ハンカチで目元を押さえていた。左の席は私と同年輩の男性で、涙で溢れる鼻をしきりにすすっていた。

スクリーンの片隅には19歳の私が、街角の店先には50歳の若い母が、鈴木オートの六ちゃんには付き合っていた田舎出の女の子がよみがえって、泣けて泣けて仕方がなかった。

見終えると、無性に誰かと話したくなった。その感覚は昔の映画帰りにはいつもあったのに、久しぶりだった。最近、人と関わりを持ちたくなる映画が少なくなったからかもしれない。もし、これから見る人は、気持ちが通じる親しい人と一緒に見ることを薦める。

映画の背景の東京オリンピックの前年、私は上京して芸大受験を失敗した。私は自分を天才だと思っていたので、芸大に入らなくても絵描きになれると信じていた。だから、浪人する気はなく、自由な生活の手段を身につけようと十条の彫金師の元に弟子入りした。

私は大変生意気な弟子で、午前9時に師匠の家に行って、既に仕事を始めている師匠を横目に、奥さんが作ってくれた朝食に文句をつけながら食べ、10時ころから仕事を始めていた。師匠は名人と言われた大変温厚な人だったが、とんでもない弟子を取ってしまったと思っていただろう。

当時の日本は大変に活気があり、九州で事業に失敗した父は上京し、建設省時代の仲間のツテで大手ゼネコンに勤めていた。調理師資格を持つ母は馬喰町の問屋の最上階の広い部屋に住み込み、破格の高給で20人程の若者の食事を作っていた。下の姉は母と同居して同じ問屋に勤めていた。上の姉はパイロットと結婚し豊かな生活をしていた。

父は金が貯まると会社を辞め、事業を興して直ぐに失敗し借金の山を作った。それでも、当時の日本と我が家は、少々の失敗など簡単に乗り越えてしまう勢いがあった。

昔の記憶は大切なものだ。過ぎてしまったものを懐かしむことで、未来に夢を描くことができる。夢を持てなくなっていたら、癒してくれる記憶のシェルターで休めば、再び力が湧いて来る。この映画は疲れ切った今の日本のための心のシェルターのようだ。

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芸大の教室から見えたスカイツリー。手前は国立博物館。

 寒空に 貴方は偉い スカイツリー

映画の前日は芸大の美術展に版画の菊池氏と行った。彼の知り合いの芸大生に頼まれたからだ。学生たちの作品に印象が残るものはなかったが、「今日の作品で最高は窓から見えるスカイツリーだ。」と二人で話した。

A2A3A4学生の鏡を使った現代アートに私たちを映して撮った。

教室のトイレは実に立派だった。学生のくせに生意気だと二人で話しながら、トイレの鏡で記念写真を撮った。

帰り、上野駅の向こうへ近道しようとして、迷ってしまった。

迷路なような道と階段を上下して行くと鉄扉があり、開けると駅構内に出た。

直ぐ目の前に空いた中華料理屋があったので、入って二人でビールを飲み夕飯を食った。

私を菊池氏がタブレットで撮ってくれた。

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