夢桜 醒めて青葉の 風寒し 12年4月17日
先日の好天の午前中、ベランダのガラス戸の断熱シートを剥がした。
外の風景が見えて、部屋が広くなったように感じた。
風抜きの小窓も1日、開けたままにしたので、部屋の空気も清涼になった。
母は終末期、ベランダ脇のベットに休んでいた
「まあ、きれい」
2年前に死んだ母が、外を眺めながらつぶやいたような気がした。
仕事部屋の窓は、西日よけに御簾を下げた。
これで夏準備は終わりだ。
自然公園をしばらく休んでいる。
公園の草原から沸き立つ春の香りと共に、母の車椅子を押していた頃を想い出す。
その頃、自然公園で眉の太いずんぐりした中年男性に話しかけられたことがある。
「ぼくは、浪越 徳治郎の子供で、今、医師をしています。」
彼は一方的に自己紹介すると「アッハッハハ」と高らかに笑いながら去って行った。その顔と笑い声は浪越 徳治郎と瓜二つだった。
浪越 徳治郎とは マリリンモンローの腹痛を治し、"指圧の心、母心、押せば命の泉湧く" のフレーズで有名になった指圧師だ。その子息が、なぜ見ず知らずの私たちに突然自己紹介したのか今も理解不能だ。春の日射しがとても気持ちよくて、無性に誰かに話しかけたくなったのかもしれない。
今日は昼過ぎから厚く曇り、春雷が聞こえた。
散歩中、時折、雨粒が落ちたが雨具を出す程ではなかった。
桜は夢のように去ってしまった。瑞々しい新緑とは裏腹に憂いを感じる。厳しく長い冬だったのに、春を楽しめず、むしろ、冬の寒さが懐かしくさえある。
美しさは哀しみを含んでいるようだ。そう思うようになったのは、歳を重ねた所為かもしれない。
夢桜 醒めて青葉の 風寒し
青葉の頃は、時折、身を切るような冷風が吹く。
写真は赤羽台三丁目公園。
珍しい薄緑の桜、御衣黄。
赤羽台団地に5本ほどある。
花はこれから次第に薄紅が差して、散る。
牡丹桜。赤羽台団地に大変多い。
遠くから眺めるより近くからの方が美しく、触れて頬ずりしたくなるような可愛いさだ。
シナモンの 香りのベール 桜風
赤羽台団地の大島桜。
カメラ位置までシナモンに似た甘い香りが漂っていた。
団地の中でこの桜が一番好きだ。
葉と同時に純白の桜が咲き、シナモンのような甘い香りが素晴らしい。
この手前の公団の建物は建て替わったが、伐採されずに生き残った。
桜の背景の建物は数年のうちに味気ない薄っぺらな高層に建て変わる。
ハナミズキの莟。赤羽台3丁目。
ドウダンツツジ。東京北社会保険病院下公園。
秋の紅葉もいいが、この瑞々しさも可愛いい。
スノーフレーク。桐ヶ丘団地。
なぜ、緑の斑点を付けているのか、自然は不思議だ。
でもそれがとても可愛いい。
人知れず 風雨を友に 山桜
桐ヶ丘団地。
この山桜は、見る人もなく、ひっそりと咲いている。
その孤高な姿に惹かれる。
個展へ向けて、深夜まで絵を描いている。
昨夜は知人が教えてくれたレクイエムを聴きながら描いていた。
仕事は孤独な作業だ。
だから、音楽があると夜の闇を優しく感じる。
若い頃はいつも楽しさ一杯だった。
しかし、次々と親しい者を送る内に、人の運命は別離と病と死が最期に待つものと感じるようになった。
今も、楽しいことはあるが、同時に影を感じる。
そして、楽しさが終わると、際限なく寂しさに囚われる。
だから、レクイエムに惹かれるのかもしれない。
遺書を描くように絵を描いている。人は何もそこまでと、思うかも知れないが、歳の近い絵描き仲間に話すと、とてもよく分かると言っていた。今は残された命を切り刻むように絵を描きたいと思っている。
遺書のつもりでで描くと、意欲が勝り勢いが出ない。作品への姿勢が甘い頃は、グイグイ描けたのに、自分に厳しくなると難しい。ひたすら無心へと心をコントロールしている。
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