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2012年5月 7日 (月)

100年昔の綿の総絞りは尺75個の絞りだった。12年5月7日

何度か記入しているが・・・祖母千代は明治女なのに料理洗濯裁縫一切やったことがない。母に料理を教えたのは千代の実父甚兵衛で、手芸を教えたのは千代の夫健太郎だ。甚兵衛は西郷軍に従って城山に籠ったほどに血の気が多い。健太郎は腕っ節で男を売った硬派だ。その男っぽい二人が母に家事や手芸を教えたのだから面白い。

千代が熱中したのは人助けだった。頼まれると親しくない人でも金を貸し、保証人になった。物乞いが来ると座敷に上げて食事を振る舞い、身の上話を聞いて涙し、財布丸ごとと衣服を与えて送り出した。これも以前書いたが、遊郭から親友を身請けもしている。だからと言って、千代に慈善思想があった訳ではない。
「千代しゃんはえらか。女にしておくのが惜しか・・」
そう言われるのが大好きで、単に顔を売りたかっただけだ。そんな野放図な千代の後始末に、母は大変な苦労をさせられた。

千代は自分のことには無頓着で質素だった。その千代が生涯一度だけ贅沢した。それが写真の藍染めの総絞りだ。祖母はその総絞りの綿布を見て、どうしても欲しくなり大金で買い夏の着物を仕立て生涯大切にした。祖母の死後は母が羽織に仕立て直して大切に着ていた。

素材は総絞りにしては極めて珍しい綿だ。しかも絞りの数・尺75個の超絶技巧だ。絞りの名人でも絞り数は尺60個が限界で、それ以上は無理と言われている。薄地の絹なら尺60は可能としても、厚みと腰のある綿布を一反も絞るのは大変な作業だったはずだ。

写真の赤い絞りは母の遺品の良品だ。それでも絞り数は尺50個ほどだ。絹布の総絞りの場合、シボが立っているのでよく伸ばして尺あたりの絞り数を数える。

母の死後、その総絞りを姉に使ってくれと頼んだが断られた。仕方がなくタンスにしまっておいたが、このままでは私の死後ゴミにされてしまう。それで、生かせてあげようと、細く切ってストールにした。それが写真で、リンネルのストールと組み合わせると実に良い。

ほどいていて驚いたのは、100年以上使い込んだ品なのにまったく痛みがない。更に、切り落とした端がほつれない。ストールのデザイン上、ほぐそうとしたが難しくて諦めた。

このしぼりの効果は他にもあった。これを身につけるようになってから不思議なことが次々と起きた。道を歩いていると、何度も若い女性がぶつかって来た。男だったら嫌だが、「ごめんなさい。」と女性に笑顔で言われると悪い気はしない。

さらに、身につけるようになってから絵が次々と売れた。その代金がなくなるとまた売れた。以来、これは幸運の絞りと思うようになった。

昨日、姉が半年ぶりに来た。端切れを持って行けと言ったが、またしても「いらない」とそっけない。
それで、二度とできない高度な技術と幸運な出来事を話すと、現金なものですぐに持って帰った。

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木像は荒川河川敷に設置してある野外彫刻「雲おやじ」の原型。

フランス大統領選ではサルコジが落ちて社会党のオランド前第1書記が勝った。
オランド新大統領は、良いことばかり言っているが実行は不可能だろう。それで株が下落し円が高くなった訳だ。

これでヨーロッパの信用不安の混迷は深まりそうだ。
この図式は今まで数限りなく見て来た。かって東京都では美濃部知事が次々と福祉政策をやって来た。しかし、その結果は巨額の財政赤字だった。フランスも同じ道を歩く気がする。加えてアメリカも安定しない。世界経済の乱高下はまだ続きそうだ。

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