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2012年5月19日 (土)

上京し挫折していた頃。 "ジムノペティ"の題名で雑誌に書いた。12年5月19日

15年前、雑誌のために書いた自伝的な短編である。
しかし、幾つかの思い出を適当に置き換えてあるので事実ではない。
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 淡雪は朝の日射しに溶け始めた。そのきらめきの向こうの隣家からピアノが聞こえた。静かで心に染み入る曲だ。
聴き入っているとピアノはふいに止まった。少しして隣家の玄関が開く音がして、生け垣越しにトキ色のコートの女が見えた。女は二階の私に気づいた。女は軽く会釈して路地を急ぎ足で去って行った。

階下に降りると姉が遅い朝食を作ってくれた。
「・・・浪人するなら、うちでしたら」
姉は来年の再受験のことを話したが、私は何も決めていなかった。芸大を目指したのは、その肩書きが絵描きへの早道と考えたからだ。それまで、絵は誰からも指導は受けずに我流で描き続けて来た。だから、芸大で絵の描き方を学びたいとは思っていなかった。


 午後、恵比寿の友人のアパートを訪ねた。
みんな受験の結果が出たので、久しぶりに集まった。
アパートへの道筋は、至る所、東京オリンピック準備で荒々しく変貌していた。私は掘り返された土くれを飛び越えながらアパートへ急いだ。

3畳のアパートに4人が集まると窮屈だった。
しかし、楽しくて深夜まで酒を飲みそのまま泊まった。

嫌な夢ばかり見て十分に眠れなかった。炬燵布団に日射しがあたって暑く、汗で濡れたシャツが不快だった。おまけに、二日酔いでひどく頭が痛かった。
大学の入学準備で忙しい友人たちは先に出かけていなかった。
まだ何も決めていない私は取り残された気がした。

 食欲はなかったが無理にトーストを食べてアパートを出た。商店街の洋品店で下着とタオルを買った。それから店主に教えてもらった銭湯に行き、床屋で伸び放題の髪を刈り上げてもらうと、気分が少しすっきりした。


 恵比寿から渋谷まで歩いた。
途中、百軒店で3本立ての洋画を見たが寝不足のせいで殆ど寝ていた。
外へ出ると夕暮れだった。道玄坂の裏道を歩いているとかすかにジャズの音が聞こえ、引き寄せられるようにジャズ喫茶に入った。

暗闇とタバコの煙りとジャズの大音響は初めての経験だった。立ち尽くしていると、レジの女がリクエスト用紙を渡した。
ジャズのことは皆目分からない。レジ傍らの古いトランクの上に手描きの絵が並び、1枚百円とある。ジャズの闇とは対照的に、明るい南国の風景だった。
「買ってくれますか ・・ 」
眺めている私にレジの女が声をかけた。私は黙って百円札を出した。
「珍しい。まだ、百円札があるんだ」
女は嬉しそうに百円札を手にかざした。
「九州ではまだ使っています」
慣れない標準語で答えると女はクスリと笑った。
小作りの顔に大きな瞳は何処かで見た記憶があった。

苦いコーヒーを飲みながら訳も分からずジャズの激しい音を聴いた。その中で、昨日の朝に挨拶したトキ色のコートの女が蘇った。レジの女と似ている、と思った。
店を出る時に確かめようとしたがレジの女は交代していなかった。

 帰りの電車の中で、袋から買った絵を出して眺めた。ヤシの浜辺とヨットの絵にYURI とサインしてある。百合・さゆり・百合香・思いつく名前を次々と当て嵌めながら、トキ色のコートの女を想い出した。


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 一浪して芸大に受かったとしても絵描きになれる保証は殆どなかった。絵描きが遠縁にいて、その厳しさは肌で分かっている。それより生活ができる技術を身につけ、好きな絵を自由に描いて過ごせる方法を考えた。

それはすぐに見つかり、紹介してくれる人がいて十条の腕のいい彫金師に弟子入りした。住まいは職場近くに寝るだけの狭いアパートを借りた。

 仕事の休み毎に姉の家を訪ねた。
荒川に近いその辺りは工場が多く、田舎育ちの私には珍しい風景だった。帰りはいつも工場街を散歩し、新宿辺りに出て友人たちと遊んだり映画を見たりした。

その散歩道にツタの絡んだ古いビルがあった。ヨーロッパの古い建物の雰囲気があり、すぐに好きになった。ビルは倉庫代わり使われているようで、窓から積み上げられた麻袋が見えた。

 5月のある日、いつものようにその古いビルを眺めていると白い紙が目の前に舞い落ちて来た。
見上げると屋上に若い女がいた。
「お願い。それ拾って」
女は右とか後ろとか指図した。
足場の悪い草叢をかき分け、木苺の茂みに描きかけの風景画を見つけた。

「ここまで持って来てくれない。遠くまで見えて気持ち良いよ」
女は非常階段を指さした。
赤錆た階段を登って屋上へ出ると、女は絵の道具を片付けていた。
「あなた、お隣の人でしょう。髪型、変えたのね。伸ばした方が似合う」
女は日焼けで真っ黒だった私が東京の水ですっかり色白になったと笑った。

何のことか判らないでいると、女はバックから財布を出して小さく折り畳んだ百円札を広げて見せた。
「大切にしているんだ。本当に九州ではまだ使っているの」

見覚えのある100円札だった。
少しずつ、ジャズ喫茶と雪の朝のトキ色のコートが繋がった。
女は私が芸大に滑ったことも、彫金師に弟子入りしたこともすべて知っていた。
「このあたり、東京でも田舎だから近所の情報は早いの」
女はクスリと笑った。
女は化粧気がない所為か、記憶より若く見えた。
美大を卒業したばかりで退屈していると話して、荒川や対岸の川口の鋳物工場を説明してくれた。郷里で吉永小百合の "キューポラのある街" を見たばかりだったので、川口の風景に懐かしさを覚えた。


薮を歩き回ってズボンが汚れてしまったのを女は詫びた。
「よそ行きじゃないですから、汚れても平気です」
言い張ったが、女はタオルで汚れを払ってくれた。
私はくすぐったくて後退りした。
「じっとしていなさい」
女は母親のような口調で睨んだ。
ワンピースの裾から白いひざ小僧が見え、女の体が揺れる度、化粧品の甘い香りがした。

雪の朝のピアノ曲のことを聞くと女は始めて聞く曲名を言った。
聞き直すと、スケッチブックに "ジムノペティ" と書いて"友里" と自分の名を書いた。それは想像していたどの字とも違っていた。
女の傍らにいると、あのピアノ曲が蘇って来て心地良かった。


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 五月の午後の風が心地良かった。しばらく、二人並んで腰を下ろして荒川の広大な風景を眺めていた。

「私、空を飛べそうな気がする」
女は突然立ち上がり、手摺のない屋上の端を歩き始めた。
ワンピースが風に翻り、すらりとした足があらわになった。
女は本当に空が飛べそうに見えた。両手を広げ軽やかに歩く姿を、私は夢見るように眺めていた。

「ねぇ、見て」
女は立ち止まり振り返った。
その一瞬、女はくるりと背中を見せ午後の空に消えた。
女は鳥のように飛んで行ったと錯覚した。
しかし、すぐに全身から血が引いて、頭の中が真っ白になった。
何故そんなことをするのか理解できないまま私は駆け寄った。

恐る恐る下を覗いたが女はどこにも見えない。
木立の中に落ちて見えないのかもしれない。
しかし、すぐ下に大きなひさしがある。そこに飛び降りたのなら明かり取りの窓から建物内へ入ることができる。
だが、飛び降りた勢いでよろめき、落ちたとも考えられる。
不安と動悸が収まらないまま行方を探していると、意外な方向から女の声が聞こえた。
「わたしの荷物、もってきてね。」
女はビル脇の木陰から屈託なく手を振っていた。

私は怒りを抑えながら非常階段を下りた。
「びっくりさせないでください」
絵の道具とバックを乱暴に女に押し付けた。
「もし、落ちたら大きな音がするに決まってるじゃない」
女は私を突ついて声を出して笑った。
ひさしに飛び降りる練習をして、だれかをびっくりさせたかった、と女は話した。確かに冷静に思い返せば、あの高さから落ちれば大きな音がしたはずだ。


 帰り道、自分が狼狽したことが照れくさくなった。
女は私を見透かすように何度も軽く体をぶつけた。
郷里で自転車の二人乗りは何度もしたが、母や姉以外の女性と二人きりで歩くのは初めての経験だった。
二の腕あたりに大人の女の感触を感じ、胸が熱くなり綿の上をフワフワと歩いている感じだった。

「画用紙は、わざと落したの」
駅前での別れ際に女が言った
私はその意味より "もう一度会いたい" と言わなければ、と頭が一杯だった。しかし言葉にはならず、黙っておじぎをして別れた。

改札口から振り返ると女は夕暮れの人混みの中に消えていた。
何も言えなかったふがいなさに、腹立たしさが込み上げた。

 それからいつまでも思い出しては後悔した。
姉の家は毎週訪ねたが女とは出会えず、ピアノも聞こえなかった。

夏の終わりに訪ねると、姉は初めて女のことを話した。
「お隣の友里ちゃんね、もっと広い所で絵を描きたいって彼と岩手へ行ったみたい」
私は「あそう。」と気のない返事をした。
しかし、言い知れぬ寂しさがこみ上げ、それを境に姉を訪ねる回数は激減した。
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それから長い年月、私は一方的に惚れるかその逆か、不毛な異性関係を続けた。
バカバカしいことに私は少しも学習せず、人生終盤に入った今もその未熟なままだ。
どうやらこのまま、あの世まで行きそうな気配だ。

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