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2012年5月23日 (水)

野良犬や野良猫たちの思い出。12年5月23日

前の住まいは山の中にあった。そこは野良猫や野良犬の通り道で、様々なネコや犬が通り過ぎた。

野良犬の二匹のカップルは仕事場の窓の下に数日いた。大型のメスと小型のオスのノミのカップルだった。仕事の合間に窓を開けて下を見ると、大きなメスは遠慮がちに目を伏せた。
「ここは大丈夫だから、安心して休んで行きな」
声をかけると、犬たちは優しい目で私を見上げた。
それから数日して、遠くで犬が騒がしく吠える声が聞こえた。後で近所の人に、保健所に二匹の野良犬が捕獲されたと聞いた。あのカップルだと思うと、とても辛くなった。


野良猫の思い出は沢山ある。その中で、郵便受けの傍らのエゴの木の枝で、いつも居眠りをしていた子猫は印象深い。

手紙を取り出しに郵便受けへ行って蓋をバタンと閉めると、子猫は驚いて草むらに飛び降り一目散に逃げて行った。その後ろ姿が可愛いので、毎日郵便受けを覗きに行くのが楽しみだった。

子猫は餌を差し出しても食べかった。仕方がなく煮干しなどをそのあたりに置くだけにすると、子猫が食べる前に近所の飼い猫の餌になっていた。そんなことを続けているうちに子猫はいなくなった。

翌年の初夏、隣家の庭で親子三匹の野良猫が遊んでいるのを見かけた。親猫をよく見るとエゴの木にいた野良だった。その時初めてあの子猫が雌だったことを知った。

秋になって乳離れの時期が来た。母猫は痩せた子猫達を残していなくなった。子猫は三毛の雌と黒トラの雄で、人なっこい三毛は近所の飼い猫になった。誰にもなつかなかった黒トラは昆虫や蜥蜴などを取って生き抜いた。でも、寒風が吹き始めて餌が少なくなると黒トラは次第に弱った。

彼は飼い猫の襲撃を避ける為に、母猫がそうしていたようにエゴの木に登って過ごすようになった。しかし、更に弱って枝に登れなくなり、終日、根元にうずくまっていた。親ネコの時と同じように、すぐ傍に煮干しを置いておいたが食べようとしなかった。

そのころになると、私が近づいても逃げようともせず、声をかけると優しく目を細くした。数日後、黒トラは立ち上げれなくなり、寝たまま荒い呼吸をしていた。私は回りを板で囲って風よけにした。それから、夜中に何度も見に行った。黒トラの呼吸は小刻みに早くなって行き、体に触れても目を開かなくなった。

翌朝、見に行くと黒トラは前足を少し曲げて冷たくなっていた。庭の隅に咲いていたツワブキの傍らに埋めようと思ったが、固く凍り付いていて掘れなかった。死んでからも冷たい地中に埋めるのは可哀想だと思い、段ボールの空き箱を棺にして、彼の上にツワブキの花を置いた。

区役所に電話すると、2千円の費用で引き取りに来るとのことだった。
ゴミにされるのではと心配だったが、清潔な薄緑の作業着の担当の職員二人が、真新しいバスタオルを持ってやって来た。彼らは、黒トラを丁重に包み、優しく抱いて帰って行った。

他の野良猫たちは、庭のコンクリートブロックで囲ったゴミ焼き場の灰の中で最期を迎えた。残り灰は温かく乾燥していたので心地よく、ブロックで囲まれた中は外敵にも見つからず、安心して死ねたのだと思う。殊に寒い夜は、ブロックの入り口を段ボールで囲って、冷たい風が当たらないようにした。そうやって看取ったネコたちは庭の隅に埋めた。

私は多くの野良猫の最期に立ち会った。人の死に比べて、野良猫の死は実に立派だった。嘆くことも絶望することもなく死んで行く、彼等の澄み切った瞳は忘れられない。野良猫のように死を迎えられたら、それは最高の人生かもしれない。

あれから長い年月が流れ、子猫達の遊んでいた広い庭には大きな家が建った。
黒トラのいたエゴの木は駐車場にするため切られ、彼らの痕跡は総て消えた。

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以前住んでいた家。
都内とは思えないほど自然が豊だった。

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