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2012年5月30日 (水)

肉親との様々な死別と喪失。12年5月29日

28日は神保町・文房堂ギャラリーでのFBの三宅克さんの個展初日。出かけるとすぐに猛烈な雨。傘をさしたが半身がずぶぬれになった。

途中、近所のともちゃんとお母さんと合流した。ともちゃんには赤羽の食べられる木の実や草を教えている。三人で神田神保町に着いたころには嘘のように雨は過ぎ、日射しが出ていた。

三宅さんは小学館クリェイティブ 代表取締役社長で漫画家の来訪も多い。ともちゃんは「うる星やつら」作者の高橋留美子氏からサインをもらっていた。これは滅多にないすごいことらしい。何も知らない若い女性だからできたことだ。

広い会場は大作で埋め尽くされていた。殊に陽光の表現が秀逸だ。陽炎のように輝き、揺らめく色彩に強い印象が残る。謙遜されているが並々ならぬ情熱の籠った作品展だった。会期は今週一杯。

この後、会場で合流した3氏と銀座へ出て、有楽町ガード下の焼き鳥屋で飲んだ。路上の隣席ではスイスの撮影チームがチョコレートのCM撮りをしていた。
それは正確でないかもしれない。撮影が終わり、みんなで名刺交換や握手をした時、彼らがそのように言っていた気がする。ともあれ、銀座は非日常なことが起きるから好きだ。

飲みながら、装丁家の荒木氏からイラストレーターの伊藤正道氏の急死を聞いた。
伊藤氏のアトリエが渋谷にあった頃、彼主催のパーティーに行ったことがある。まだバブルの余韻が残っていて、業界ぽい雰囲気に肌が合わず早々に帰った。

実際の伊藤正道氏は極めて誠実な人で、長年盲目の母親を介護していた。その母親とは去年の暮れに死別して、相当に落ち込んでいたいたようだ。その死別から2ヶ月後に彼は急死した。荒木氏から彼の死を聞きながら、元気な頃の彼を想い出して辛くなった。

私もそうだったが、介護していた肉親との死別は重い喪失感を残す。
フランスの文学評論家ロラン・バルトは、幼くして父を亡くした後、生涯共にした母親を亡くし、その2年後に喪失感から癒されぬままに交通事故死した。

彼は母親と死別した後、哀しみの中で作品のための多数のメモ書きを残している。
「喪の日記」はそのメモ書きを余さず忠実に記載したものだ。
メモ書きのため、記号的で難解な文体だが、彼の喪失感が痛いように伝わって来る。
その中で、彼はあらゆる哀悼や共感を、自分の絶対的な哀しみにふさわしくないと否定していた。

ロラン・バルトと伊藤正道氏と私の違いは、私は死にものぐるいで生き抜く他ない立場にいたことだ。それが、死別からの立ち直りの差を生んだのかもしれない。

飲めば馬鹿話をしてしまう。
今朝、目覚めると、またやってしまったと自己嫌悪に陥っていた。これは毎度のことで、死ぬまで治りそうにない。

午前中、雲間からの夏日射しが照りつけた。
いつもの散歩をしながら、床屋さんに置いてある私専用のポマードが切れているのを思い出した。
化粧品屋で探したが見当たらない。
諦めて帰ろうとすると、可愛い販売員と目が合った。

「あのー、資生堂のブラリンチンありますか。」
あわてて言ってから、しまったと思った。
子供の頃から言葉を入れ替える癖が有る。たとえば、エルンストをエルントス、オスカーレラレンカをオッカーデラレンカ、ダライラマをダライ・・と

彼女は素知らぬ顔で言い間違いを指摘した。
「パラディムのブリランチンですね。在庫はありませんので、お取り寄せになりますが・・・」
案ずることはなかった。
すぐに注文を入れ夏日射しの道を帰宅した。

パラディムのブリランチンは日本のポマードとしては好きな香りだ。
しかし、通常ポマードは使わない。無香料でべたつきのない他社製品を使っている。

写真は20年前、伊藤正道氏のアトリエに行った頃の47才。
下北沢を仲間と飲み歩いて朝を迎えた写真だ。

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