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2012年5月10日 (木)

24年前、バブルの終焉に絵描きに転向した。12年5月10日

 24年前、絵描きに転向した頃、バブル成金のAさんが絵を買ってくれた。彼は私の絵を大変気に入り、有名な日本人画家を世に出したNYの日系人画商を紹介してやる、と言った。
思わず身を乗り出すと彼は「体を張る覚悟はあるか。」と真顔になった。
当然「あります。」と胸を張った。
「それなら楽勝だ。ヤツは必ず体を求めるから、目をつぶって我慢しろ。」と、とんでもないことを言った。
"張るのはケツか・・" と、悪代官にいたぶられる町娘と自分が重なった。
「オレ、切れ痔ですから、我慢できませんよ。」
とっさの思いつきを言った。
「切れ痔はきついな・・」
Aさんはため息をついて、その話しは終わった。

それから間もなく、日本人画家のNYの邸宅の取材番組があった。ピチピチのビキニパンツでプールサイドを歩く画家が妙に可笑しかった。

Aさんは再度、儲け話を持ちかけた。
彼は開店できないまま塩漬けになっていた赤坂の高級レストランへ連れて行った。イタリアから取り寄せた大理石の内装に高級調度、厨房も食器も超一流だった。
「ここを居抜きで200万で貸すからクラブをやれ。」
彼は突拍子もないことを言った。私はクラブ経営は興味ないと答えた。彼は簡単だからと儲ける仕組みを説明した。
50の席をホステス50人に一席10万で貸して月500万の収入を上げる。それで差額300万が毎月私のものになる。しかも、名前を貸すだけで、面倒な経営は総て彼の会社がすると美味しい話しだ。当時はまだバブルの余韻が残り夜の赤坂は繁栄していた。これで遊んで暮らせると私は喜んで話しに乗った。

開店を心待ちにしていると、計画が潰れたとAさんから連絡があった。予定したクラブは地元小学校の風致地区にかかっていて、PTAから猛抗議を受けて断念したと悔しそうだった。

やがてバブルがはじけた。その後処理の不良債権回収に整理回収機構が開設され中坊弁護士が社長に就任した。
その経緯をニュースで見て、やっとAさんの意図が分かった。それは賃貸借関係を複雑にして、差し押さえを逃れる違法すれすれの行為だった。中坊社長はそれらに辣腕を振るっていたので、もし、その儲け話が実現していたら、私は罪を問われ、絵描き人生ははかなく消えたはずだ。だから横やりを入れてくれたPTAに、今も心から感謝している。

画像は43歳で絵描きに転向して直ぐの作品。
絵に詩を付けて、雑誌に連載していた。

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