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2012年5月14日 (月)

40年前の白昼の夢 12年5月14日

 これはある部分は真実で、ある部分は夢の世界だ。
戦争で独りになった老人の儚い夢に私が迷い込んで生まれた物語として読んで欲しい。 
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 40年前、東京場末の旧宿場町に住んでいた。
その街には昔の商家が残り、中央に深い掘り割りがあった。
その老人とは掘り割り沿いの散歩道で出会った。
彼はいつも木陰の縁台に座り、剃り上げた頭で刻みタバコを吸っていた。
毎日、老人と顔を合わすうちに軽く黙礼を交わすようになった。

 ある暑い夏の午後、汗を拭き吹き歩いていると老人が呼び止めた。
「にいさん、休んでいきな。」
恐縮しながら縁台に腰掛けると、老人は薬缶から冷たい麦茶を湯飲みに注いでくれた。
二人で黙って川面を眺めながら麦茶を飲んだ。
涼しい川風が深い掘り割りから吹き上げ心地良かった。
以来、老人と短い会話を交わすようになった。

 その日は彫金の仕事の納品があり、いつもの散歩は夕暮れ近くになった。
ぼんやり歩いていると、ふいに老人から呼び止められた。これから飲みに行くから付き合えと言う。仕事を済ませて、一杯やりたい気分だったので付き合うことにした。

 居酒屋は掘り割り沿いを少し行った木立の中にあった。
毎日歩いているのに、その店を知らなかったのが不思議だった。
「店は夕方から開くから、気づかなかったのだろう。」
不思議そうに店を眺めている私に老人は言った。

老人は慣れた手つきでのれんを跳ねて先に入った。
板壁に古い赤玉ポートワインのポスターが飾ってあった。
「おい・・・いないのか」
老人は奥に声をかけた。
現れた浴衣姿の女は三十前後の色白のきれいな人だった。
カウンターに着いた私の前に、冷や酒と焼き茄子が並べられた。
小一時間飲んでいたが、他に客は来なかった。
酒を重ねながら老人は、戦前、隅田川沿いの造船所で船大工をしていたとポツリポツリと身の上話をした。女は終始、笑顔で頷くだけで何も喋らなかった。

「かあちゃん。」
突然、奥から子供の声がした。
「あら、起きたみたいね。」
その時初めて女の声を聞いた。
女はきれいな下町言葉の余韻を残して奥に消えた。

女は奥から4,5歳の男の子を連れて来た。
「こいつ、俺のガキなんだ。」
老人は嬉しそうに男の子を抱き上げた。
「まさか、こちらは嫁さんだ、とでも言うんじゃないでしょうね。」
冗談だと思って言うと、「その、まさかなんだ。」と、老人は真顔で答えた。

 老人が居酒屋に誘ってくれたのはその日だけだった。
もう一度、訪ねたかったが一人で行くのは気が引けた。

 夏の終わり、縁台に腰掛けている老人に久しぶりに出会った。
老人はいつものすててこ姿ではなく、麻の上下にパナマ帽で別人のように見えた。
「今日はお洒落ですね。お出かけですか」
声をかけると、「これからガキと女房と、お出かけだ。」と、老人は笑った。
少し、立ち話をしていると、遠くで着物姿の女と子どもが手を振っているのが見えた。

親子三人が仲睦まじく歩いていくのを見送ったその日を最後に、老人とはプッツリと出会わなくなった。
気になって居酒屋で様子を聞いてみようと思ったが、いくら探しても見つからなかった。

 それから散歩コースを変えたので、老人たちのことは次第に忘れて行った。
翌年の夏、思い立って、川沿いを歩いてみた。
老人に挨拶しようと、以前聞いた記憶を辿って家を訪ねると取り壊されて駐車場になっていた。

近所で老人の消息を聞くと、最後に会った去年の夏の終わり頃に亡くなっていた。
驚いて奥さんや子どものことを聞くと怪訝な顔をされた。
「戦争中、あの人は出征している留守に、東京大空襲で嫁さんと子どもを亡くしたんだ。」
近所の人は、以来独り身だから家族はいないはずと話してくれた。
居酒屋のことも聞いてみたが、誰も知らなかった。

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家族との別離は今回の大震災でも多く生まれた。20年後か30年後、同じような物語が生まれるかも知れない。

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