連休明け、40年前の白子の浜の思い出。12年5月6日
連休も最後の日になった。明日から始まる仕事が憂鬱な人もいることだろう。
前回に続き、四十年近く前の連休明けの思い出を・・・
海育ちなので、時折、何の理由もなく海が見たくなる。
外房の白子の浜へ出かけたのも、そのように海が見たくなったからだ。
季節は五月の連休明けで、外房線一の宮駅から白子の浜まで4キロを歩いた。
久しぶりの田舎道だった。光り溢れる草原の花々に飛び交うマルハナバチの羽音が心地良かった。
宿は浜辺の国民宿舎に決めた。予約なしだが、空いていたのですぐに宿泊できた。
夕食まで、初めての九十九里浜を散策した。
郷里にも広い砂浜はあったが、これほど長大ではなかった。
海風の香りを深呼吸したり、砂に埋もれた廃船を眺めたりしながらのんびり歩いた。
夕食には新鮮な鯵のたたきが出てとても美味かった。
しかし、一人でビールを飲んでいてもつまらなくて遊戯室に行ってみた。
そこはジュークボックスと卓球台があるだけの殺風景な広い部屋だったが、窓からの壮大な夕陽は息を飲む程に美しかった。
夕陽に見とれていると、宿泊客の若い男女が入って来た。
背後から小さく聞こえる会話で、二人が新婚だと分かった。
二人はジュークボックスにお金を入れ、歌謡曲をかけた。
"好きなのに別れ・・・貴方に会いたくてたまらない・・・" と言った、よくありがちな別れの曲だ。
私は夕日に似合わないと思った。
新婚の二人が何故に別れの曲なのかと興味がわいた。
そおっと振り向いて見ると二人はいない。どうやら、音をたてずに遊戯室を出て行ったようだ。
もったいないことをすると思ったが勘違いだった。彼らは私を、恋に破れ独り寂しく夕陽を見ている一人旅と思ったようだ。
二人は私に聞かせようとジュークボックスをかけて、そっと部屋を出て行った訳だ。
今も二人が別れずにいたら、時折、新婚時代に行った白子の浜のことを思い出すかもしれない。
煎餅をかじりながら「あの時はいいことをしたね」としんみり語りあっているかもしれない。
どうやら、思い出は勘違いでできているようだ。
しかし、同じなら美しい勘違いの方がずっといい。
ネットで見つけた九十九里が浜の写真に、前回も使った、その頃の "寂し気な" 一人旅の私を合成した。
厳冬期の北海道での一人旅の写真を撮ってくれたのは小樽の人だった。
とても可愛い姉妹で、札幌からの列車で向かい合わせだった。
当時の本州の列車の窓は一重で、厳冬期は窓に氷の花が咲くほどに窓から冷気が来たが、北海道の列車は二重窓で、暖房は暑いくらい良く効いていた。
隣りのボックス席で、漁師らしい地元の人たちはシャツ一枚で楽しそうに酒を飲んでいた。時折、彼らはホームに出て、雪を持ち込んで、齧りながら飲んでいるのが北海道らしいと思った。
姉さんは二十歳ほどで、しばらく文通したがいつの間にか止めた。
その内容は想い出せない。
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