美智子妃ご成婚のティアラの制作について。12年6月11日
私の彫金の師匠は町の職人だった。師匠の師は明治時代にフランスに留学して洋式の彫金技法を身につけた。それまではティアラなどの皇室関係の装身具制作はヨーロッパに依存していた。彼は国策に従ってヨーロッパの彫金技術を学び、それを更に日本の伝統技術と融合させ、日本独自の彫金技術を完成させた。
彼は江戸金型師で旗本の末裔でもある。江戸期の彫金は刀の装具作りが主で、武家の二男三男などが趣味を兼ねて始めた例が多かった。
その彼の一番弟子が私の師匠で、代表的な仕事は1961年の美智子妃ご成婚のために作られたティアラだ。
その時師匠は「石留め-いしどめ」と呼ばれる最重要工程を担当した。説明すると、プラチナ合金に穴を開け、ダイヤを入れて地金をタガネで起こしながらダイヤに被せて固定する。被せた地金は玉に丸める。その後、縁とダイヤの間を片切りタガネで帯状に削り、その縁にミルと呼ばれる極小の玉を縁飾りとして整然と刻した。師匠は「石留め」での最高難度作業の削りを担当した。
削る時、タガネ先がダイヤに僅かでも当たると、瞬時に割れてしまう。しかし、ダイヤからタガネが逃げ過ぎると削り残しが出て汚く仕上がる。だから、ギリギリの境を美しい鏡面に一気に削り上げなければならなかった。メインの大きな石はこの技法ではなく爪止めなので、技術的に難しくない。
使われたダイヤは、明治天皇の皇后、昭憲皇太后の宝飾品から外した石など、宮内庁にストックされていた大量の旧カットのダイヤだった。旧カットと今のカットはカット面の数が全く違う。旧カットはカット面が少ないが、おおらかな輝きがナチュラルで気品があり、その柔らかな感じが私は好きだ。対して、現代の新カットはチカチカと細かく強く輝くが、人工的で成金趣味に感じる。ちなみに、歴史のある欧州の各王家の宝冠は当然ながら旧カットが使われている。
そのように書くと、中古品のリメイクと思われるが、それは大きな誤解だ。由緒ある宝石は美術品と同じ価値があり、ヨーロッパの各王家でも宝石は持ち主が変遷しながらリメイクされている。美智子妃のティアラは、プラチナ合金土台から新しく制作した新品で中古ではない。まして、あれだけ立派なティアラの為に旧カットを揃えるのは難しく、皇室所蔵のダイヤが転用されたのは当然なことだ。
旧カットのダイヤは原石に近い形状で真円ではない。だから、穴あけは回転させて切削する剣キリや菊ギリが使えない。ダイヤ一つ一つの形に合わせて、アゴカキと呼ばれる細い丸ノミ状の道具を使って手作業で削る。その手間のかかる作業は他の弟子たちが担当し、師匠の師匠がタガネでダイヤに地金を被せる石留め作業をした。それはダイヤのカット面もデサインに従って揃える、繊細な仕事だった。
師匠が担当した最終仕上げの削りは、旧カットのダイヤの際が直線ではなく複雑に細かく蛇行していたので、大変な難作業になった。しかも地金は、ティアラ軽量化のために、強靭なプラチナ・イリジウム合金が使われていた。この合金は硬くて削りにくい。しかし、40代で脂が乗り切っていた彼は複雑に蛇行する曲線を寸分の狂いもなく、超人的技で一気に鏡面に削り終えた。この作業は1回こっきりの、やり直しのきかない最重要工程だ。彼はとても控えめな人だったが、後年、一生で最高の仕事ができたと話していた。
おそらく、これ以上の技術のティアラは、今後、我が国だけでなく、世界のどの国でも制作不可能だ。宝飾品の歴史上、当時の日本技術は世界で最高度に高められていた。その世界最高峰の技術が集積されたのが美智子妃のティアラだった。その仕上がりと比べると、今、もてはやされている欧米宝飾メーカーの品は極めてお粗末に見える。
皇室のティアラはこれからも作り続けられるが、日本の宝飾品産業の衰退のため高度技術の継承が途絶えかけている。私は出来の悪い弟子であったが、その私ですら絵描きに転向してしまった。
これから先、美智子妃のティアラ以上の品は制作不可能だ。このティアラは技術史の貴重な記録として永遠に残すべき品だと思っている。
このティアラには後日談があった。
制作された老舗宝飾店の工房は神域としてしめ縄が張られ警察官が24時間厳重警備していた。そして、関わる職人たちは礼服にネクタイ姿で制作にあたっていたことになっていた。
そのように極秘に作られていたはずのティアラが、ご成婚時の毎日グラフ特集にスクープされ表紙と本文を大きく飾った。スクープしたのは師匠の師の子息のカメラマンだった。彼は父親に技術史の貴重な記録のために撮りたいと嘘をついて撮影した。
公開前に撮影出来たのは、最終工程の仕上げ段階のティアラが厳重警備の工房になく、町中の無防備な工房で石留め作業がされたからだ。この事件は各部署の引責問題に至る恐れがあり、結局、許可されて撮影したことで内々に決着した。
今、真相が語れるのは、詳細を知る関係者総てが鬼籍にあるからだ。関わった職人さんは、メインは、ティアラの土台を作る飾り職の名人一人に、ダイヤをセッティングする石留めの名人二人で、その他、数多くの弟子たちが複雑な工程一つ一つを担当した。
しめ縄を張った厳重警備の工房で礼服姿で仕事をするなど、事なかれ主義の宮内庁役人が作った計画だろう。老舗宝飾店の責任者は、そんな劣悪な環境で日本が誇る最高の仕事を残せないことを熟知していた。それで、非常に難しい最終工程の石留め作業だけは、町の工房に持ち込むことを容認した。その結果、世界に誇れる最高の仕事が歴史に残った。これは関係者たちの英断だと思っている。
以上は、50年近く昔、師匠や飾り職の弟子たちから制作時の詳細を聞いた記憶と、師匠宅に残されていたティアラのデザイン画や制作工程の写真の記憶を基に書いた。それらの遺品が今どうなっているかは分からない。
今、このことを書いたのは、町の職人はどんな優れた名人でも無名で、歴史に名を残さないからだ。日本の工芸史はそのような無名の名人たちによって作られて来た。
ティアラの土台を作った飾り職の職人さんについては、昔、有名雑誌で特集されていたので、ここでは触れなかった。彼はミキモトの職人さんで、先に書いた、しめ縄が張られた工房で制作されたようだ。既に故人だが、その方の弟子と昔親しく、制作秘話を聞くことが出来た。
私は師匠の最初の弟子で、彼はとんでもない私にうんざりしていた。
毎朝遅刻の重役出勤で、仕事を始めている師匠を横目に奥さんの作ってくれた朝食を食べた。しかも、海苔の焼き方がなってないとか、味噌汁が濃過ぎるとか料理に文句をつけていた。
更に好天が続くと前借りして旅行に出かけたりした。今、書いていても、厚顔無恥な自分が恥ずかしく冷や汗が出る。そんな弟子だったので、私が独立した時、師匠は厄介払いができて大変安堵したと思う。
独立した私は月に10日働くだけで一般の3倍は稼いだ。
その頃は、どの分野の職人も恵まれていた。その頃に裸一貫の職人から建設会社などを起こし、急成長した企業はとても多い。
その頃、上の姉の友人に美術界の大物の娘がいた。
姉の亭主はパイロットで、年収は数千万あり、交遊もセレブだった。
姉が、年末に友人宅を訪ねると、床の間に札束が積み上げられていた。聞くと、弟子たちの献金だと友人は話した。
献金をすれば、弟子たちに公的な仕事が安定してもらえるので安い投資だった。
当時の官庁や地方自治体担当者は美術界に疎く、公園や公共建物に飾る美術品の制作はもっぱら美術界の大物からの斡旋に頼っていた。
大物は依頼されると制作費から斡旋料を引いて、身内の弟子たちに仕事を回した。
現在、公園や公共建物で目にする彫刻や絵画の多くはそのように制作されたものだ。今はどこも財政窮迫しているのでそのようなことは少なくなった。
大物の息子も工芸界の実力者だった。
ある日、姉が話しを全部つけてあるからその子息に会えと言って来た。
詳しく聞くと、しばらくその子息から彫金の指導を受けて師弟関係が結べば、将来有利に計らってもらえると話した。
分かりやすく言うと、作家履歴に "○○氏に師事" の肩書きを入れることができ、更に仕事の斡旋もしてもらえることだった。
「バカバカしい。どうして自分より才能も技能も劣るやつの指導を受けなければならないんだ」
私は激怒して即刻断った。
姉は私を世渡り下手だとなじったが、彫金を一生の仕事にする気がまったくなかったのが私の本心だった。
その大物たちは総て死んだので、今このように書ける。
写真は突っ張っていたその頃32才の私だ。
セレブだった姉はその後離婚して、母より先に波瀾万丈の一生を終えた。
そのあたりは以前、ブログに書いた。
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