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2012年6月14日 (木)

若い頃、資産家への婿入りを断った複雑な思い。12年6月15日

前々回のブログに突っ張った30代前半の写真を掲載した。
それはその頃の話だ。
時折、飲み屋に付き合う社長がいた。
店は場末の焼き鳥屋だ。
彼は職工から叩き上げで、末席だが全国長者番付に乗るほどの人だった。
私は技術系の職人肌の人が好きで、彼とはとてもうまが合った。

社長には一人娘がいた。会ったのは数回だけだが、とても印象に残る美しい人だった。

ある休日、ふらりと社長宅を訪ねると、彼女は庭で花の手入れをしていた。
「お父さん、いらっしゃいますか」
生け垣越しに声をかけると、彼女は慌てて立ち上がり、その拍子に躓いて転んだ。
急いで庭に入り近づくと、膝小僧が土で汚れ血が滲んでいた。

「大したことはありません」
彼女は笑顔で言ったが、雑菌が心配なので庭の水道蛇口まで連れて行った。
「スカートを濡らさないように気をつけて、洗って下さい」
事務的に指示して蛇口をひねると、彼女は私の肩に手を置いて片足立ちで膝小僧を蛇口へ少し突き出した。私はてっきり自分で洗うと思っていたので、その子供のような反応に驚いた。私は一瞬ためらったが、何も考えずに土を洗い落とした。

彼女と挨拶以外に会話を交わしたのは、その時が初めてだった。
その後、社長と奥さんを交えてビールでも飲んだが全く記憶にない。ただ、彼女の丸い膝小僧と肩に置いた手の感触だけが何時までも記憶に残った。

それから半年ほどして、社長に喫茶店に誘われた。
席に着くといきなり、彼は深々と頭を下げた。

「うちの娘と一緒になって、婿になってくれないか」
あまりに突拍子もない申し出に、私は呆然とした。
「ご両親の生活は不自由はさせない。娘も承知しているから是非に承知してくれ」
彼は平身低頭、頼み込んだ。

私の頭の中を未来の自分の姿が駆けめぐった。
彼は私が両親を扶養していることはよく知っていた。
その少し前、祖母が死んで私は身軽さを感じていた。生活を保障すれば姉たちは両親の面倒をみるだろう。
しかし、絵描きになる夢は捨てられない。
もし婿に入れば、自分の性格なら粉骨砕身会社のために働くはずだ。夢中になって働き続けて老いて、やっと解放された時、「オレは本当は絵描きになりたかったんだ」と孫たちに愚痴るかもしれない。そう思った瞬間、考えは決まった。

「申し訳ありません。すでに決めた人がいます・・・お受けできません」
言い切ると、社長はひどく落胆し、話しはそこで終わった。
決めた人などいなかったが、それが断るのに一番簡単だと思ったからだ。

その後、私は彼以上に打ちのめされた気分になってしまった。そしていつまでも、絵描きがそんなに素晴らしいものだろうかと、繰り返し後悔した。

それから気まずくなって、社長とは会わなくなった。
1年程して、娘の婿に取引先の三男坊が決まったと聞いた。
私は頭を丸太で殴られたようなショックを覚えた。

それから間もなくバブルが始まった。
商家に生まれ育ち、目先が利いていた婿は次々と投機に成功し、マスコミにも時折顔を出した。
しかし、バブルが崩壊すると巨額な投機が裏目に出て会社は倒産してしまった。

それから5,6年後、池袋の街中で子供連れの彼女と偶然再会した。
気のせいか、彼女は疲れているように見えた。
「お元気ですか」と挨拶すると、
「あなたは少しもお変わりなくて・・」と彼女は笑顔になった。そして、父親が亡くなったことを話した。
辛い話しになりそうだったので、すぐに彼女とは別れた。

帰り道、これまでのことを思い返した。
私は投機の類いが大嫌いだった。だから、私が婿入りしていたら会社を潰すことは絶対になかった。
しかし、結果は受け入れる他ない。
人の幸不幸も軽々しく判断できるものではないと思った。

以前、ブログに次のように書いた。
"この頃は自分の置かれた状況を必死になって変えようとしていた。経済的には安定した時代だったが、その頃より、貧しく孤独に老いた今の私の方が、本心から好きだ。"
そう書いたのは負け惜しみではない。
貧乏と孤独の辛さを打ち消すほどに、絵描きを選んだことに後悔はなかったからだ。

人生は行きつ戻りつ進んで行く。幸不幸と感じるのはその時々の一瞬のことで、全体像を見ると違って見える。どのような形でも、そのことに優劣はなく、一つの生き方として毅然と受け入れるべきだ。
だから、お嬢様から普通の人になった彼女を可哀想とは思っていなかった。

作品は文中の彼女とは関係ない。題名が「美しい人」なので使った。

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