いつの間にか、心の中で会話する相手は死者ばかりになった。12年6月18日
散歩道の民家の軒下に白のホタルブクロが咲いていた。
「咲きましたね。」
手入れをしていたおばあさんに声をかけると、庭にはもっといいのがあると見せてくれた。軒下の植木鉢のと違い、すっくとたけ高く楚々としている。
東京北社会保険病院の庭にも紫のホタルブクロが咲いている。教えると、近く病院へ行くから、ついでに見てみると喜んでいた。
彼女とは時々挨拶する。戦前からその家に住んでいて、昔の赤羽に詳しい。
都営桐ヶ丘団地は昔は軍事基地で戦後は畑地になったこと。沢山あった桐の木がその名の由来になったこと、御諏訪神社脇の宮の坂は昔は馬力や大八車の難所だったこと、色々聞いた。
桐ヶ丘団地は今も、桐の大木があちこちに残っている。先日までは、甘い香りのする紫の花が沢山咲いていた。その桐ヶ丘団地は一時、老人ばかりになったが、次第に若い世代と入れ替わって最近子供が増えてにぎやかになった。都営団地の家賃はタダみたいに安いので、住んでいる人はゆとりがあり、のんびりしている。
団地の空き地のローズマリーの茂みは新芽が伸びて美しく茂っていた。すぐに業者が入って刈り取ってしまうので、摘んで来てコップに差して置いた。部屋に心地良い芳香が漂い、料理にも使える。
緑道公園でネコを見つけたので、母が喜ぶだろうと思いながら写真を撮った。死んだ者には見せることはできないが、シャッターを押す時、いつもそう思ってしまう。
一人暮らしになってから、気がつくと死んだ者たちと話している。
古い五円玉に昭和40年などと刻印されてあると、その頃何をしていたか想い出す。そして、ついつい両親や兄姉や親しかった人たちと言葉を交わしてしまう。
今日の散歩中、何となく家へ携帯をかけてみた。
呼び出し音が聞こえた後、母が出て明るい声で返事をするような気がした。
外出先から電話をするようになったのは10年前の小さな事故以来だ。
その時、知人の十三回忌の法要に池袋へ出かけた。
その知人は絵描きに転向したばかりの私を助けてくれた。
知人宅は大谷口の給水塔近くにある。法要の後、未亡人や娘たちとのんびりお茶をして夕暮れに帰宅した。
玄関を開けると晃子姉が待っていた。姉が訪ねる予定はない。どうしてと聞くと、母が浴室の床に落ちていたシャツを踏んで転んだと話した。
私はいつも洗濯済みの下着は浴室のカゴに積み上げる。その一部が崩れ落ち、それを踏んで滑って転んだようだ。
母の膝の手術をした外科医から、転ぶと人工関節が壊れるから気をつけるように厳命されていた。一瞬血の気が引いたが、母は居間でのんびりテレビを見ていた。
転んだ時、フワリと洗濯物の山に倒れたおかげで怪我はしなかった。しかし、後は大変で、人工関節は九十度までしか曲がらず、自力では立てない。母は電話まではって行き、私の携帯に電話をかけようとしたが、動転して電話番号が押せなかった。
それでかけ慣れている晃子姉に電話して助けに来てもらった訳だ。
それ以来、外出すると電話を家に入れるクセがついた。
そのくせは今も残り、何となく誰もいない家に電話してしまう。
当然だが、家にベルが鳴り響いているだけで、「ああ、誰もいないんだ。」と思って電話を切る。
思い返すと、昔、みんな元気だった頃も、心の中で誰かと会話していた。
それが、いつの間にか親しい者の殆どは鬼籍に入り、結果的に会話するのは死者ばかりになってしまったようだ。
昨夜、友人から同窓生の病院の娘が乳がんで死んだと知らされた。皆は美人だと言っていたが、私の好みではなく、興味はなかった。
彼女の息子たちも医師で、離婚した夫も医師だった。そう言えば、電話をして来た友人も医者一家で、親も兄弟も親戚も医者ばかりだ。どうやらこの職業は連鎖するようだ。
別れた後、彼女は赤羽の娘の所に住んでいたと、友人からの電話で初めて知った。もしかすると、どこかですれ違っていたかもしれない。
誰の死でも寂しい。電話を切ったあと、彼女の冥福を祈った。
おおとこエルンストより。
南の海に潜って人魚たちと出会う図。
子供の頃、夏休みは早朝から海で遊んだ。
ないだ海に潜ると、陽の光が網目状に海底に映りとても綺麗だった。
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