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2012年6月20日 (水)

書かなかった両側鼠径ヘルニア手術の詳細。12年6月20日

先日のテレビ東京・カンブリア宮殿「全国から患者続々の超人気病院・患者も医師も大満足のワケ」でとりあげた千葉県鴨川市の亀田病院は目を見張るほどに素晴らしい病院だった。
患者の側に立った行き届いた医療とケア。面会は24時間自由。豪華なのにリーズナブルな併設レストラン。入院費も馬鹿高くはなく、院長の「医療は究極のサービス業」の言葉がそのまま反映されていた。

近所の東京北医療センターにも亀田病院から引き抜かれた優秀な外科医がいる。40代半ばのとても美しい女性で腹腔鏡の名手と聞いている。一昨年秋、私はその人の診察を受けた。

私は8年間の母の介護と車椅子押しで左右の鼠径ヘルニアを悪化させてしまった。
手術をすれば介護ができなくなるので母が死ぬまで我慢していた。

母が死んだ2010年晩秋、その東京北医療センター外科で、その美しい女性医師から診察してもらった。
症状を話すと、いきなりパンツを下ろすように指示された。ヘルニアは横に寝ると引っ込むので診察は患者を立たせて診察することになっている。シャワーを浴びて来て良かったと思いながらパンツを下ろした。

医師は私の足元に立て膝でしゃがみ、左右の鼠径部に顔を近づけて真剣に触診してくれた。かがんでいる彼女の黒髪を見下ろしながら、そんなことまでしていただいて、と猥褻な考えを払拭するのに苦労した。
もし、男性医師からこんな触診をされたら、気分が悪くなっただろう。

「手術はいつになさいますか」
診察の後、女医さんはカレンダーを示した。

本当は、手術は来年にでもとのんびり構えていた。
「先生が切ってくれますか」
聞くと彼女は「はい、そういたします」とうなづいた。
その笑顔に引き込まれるように私は一番早い日を選んでしまった。
おかげで、手術代を稼ぐために注文絵を急いで仕上げなければならなくなった。

術式は事前に調べ、前年認可されたばかりで国内術例は少なかいが、ジョンソン&ジョンソン社開発のUHS法(ウルトラプロヘルニアシステム法)が良いと思っていた。

UHS法はそれまでのPHS法と形状は同じだが、メッシュ素材の70%を体内に吸収される繊維で置き換え、腹痛などの異物トラブルを軽減したものだ。具体的には鼠径部の穴を内側と外側でサンドイッチ状に挟んで腹膜と腸の飛び出しを強力に防ぐ。再発率は0.12%と一般的なクーゲルパッチ法の7.61%よりはるかに小さい。

それまでの東京北医療センター外科の第一選択肢は筋層の内側をメッシュで覆うだけのクーゲルパッチ法だった。
「UHS法で、やっていただけませんか」
聞くと、
「ご希望でしたらUHS法でも問題なくやりますよ」
彼女は自信ありげに答えた。
この病院は問題が多いクーゲルパッチ法から最新のUHS法に替えたい意識があったのかもしれない。


2週間後の手術の執刀医は上記のベテラン医師ではなく、大場久美子似の若い医師に代わっていた。

手術前日、スタッフ全員が出席した会議室で執刀医から詳細な説明を受けた。私はその前日、ネット上のUHS法マニュアルを読んでいたので、彼女の過不足ない説明に不安はなかった。
しかも、この人なら失敗しても許せると思ったほど可愛い人だった。


スタッフは、補助する男性のベテラン医師に医長を加えて3人の外科医。麻酔医は2人。看護師は5人もいた。
簡単なヘルニア手術にしては大掛かりな陣容だ。もしかすると若い執刀医は初めての手術だったのかもしれない。それで絶対に失敗させないための配慮だったのだろう。

当日、手術台で脊椎麻酔を受けた。
右側の麻酔を受けた時、右足に鈍痛を感じたので、そのように言うと、左側は若干、麻酔薬の量が調整がされた。

意識がなくなる全身麻酔では、異物が気管を塞いでも患者が訴えられず、命取りになることが希にある。ことに麻酔医のいない病院では高齢者などで事故が起きる。私の母もそれで死にかけたことがあった。

私は安全性の高い脊椎麻酔だったので意識はハッキリしていて、照明灯の金属部に映る手術の様子を眺めていた。
補助のベテラン医師の的確な指示のもと、まず右側から手術は順調に進み20分程で終わった。

次に左側に入った時、メスの痛みを感じた。
執刀医がベテランならすぐに訴えて局部麻酔を加えてもらうが、若い医師に余分な作業を加えて集中力を削いでは拙い。脂汗を流しながら激痛を我慢していると、右側の学習効果のおかげで早く済んだ。

終わってからすぐにレントゲンが撮られ成功が確認された。
左側の麻酔の効きが悪かったと伝えると、
「言っていただければ、すぐに局所麻酔を加えましたのに」と補助していたベテラン医師が言った。
執刀した彼女に「疲れたでしょう」とねぎらうと疲労困憊した顔で頷いていた。


若い女性執刀医は手先が器用な人で、手術の縫い目は定規で測ったように見事だった。
術後の痛みや異物感等の不快感は皆無で、1年半過ぎた今に至るまで再発の気配はまったくない。
新しい術式を選んで本当に良かった。私で成功したので東京北医療センターの第一選択は最新のUHS法に変わったはずだ。

補足すると、鼠径ヘルニアの手術は、通常、執刀医一人に看護師一人で日帰り可能なくらい簡単な手術だ。
私の場合もその程度の軽いものだったが、執刀医が特別なお嬢さんらしく、失敗させないように、心臓手術並みのとんでもない大陣容での手術になってしまった。もっとも、私にとってはありがたいことだった。


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画像は戦うエルンスト。


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