人は総て家族を目指す。だから家族との別離を恐れる。12年6月21日
夕食後、二度目の散歩へ出た。
階段を下りると、1階のエレベターホールに3才程の女子を連れた若い夫婦がいた。女の子は両親と一緒なのが嬉しいらしく、可愛い声で楽しそうに歌っていた。
日頃、幸せを実感する事は少ないのだが、その時、その家族は確実に幸せを感じていただろう。
人は皆、家族を目指す。目指したものが仲間であっても、社会であっても、それは大きな意味で家族だ。だから、家族を失うことを恐れ、失うと苦しむ。
深夜、NHKスペシャル宇宙の渚「46億年の旅人・流星」の再放送を見た。デジタル画面の美しい流星群を見ながらながら、母の死の9ヶ月前のオリオン座流星群の夜を想い出した。
夜11時、母がブザーで呼んで、どうしても眠れないと訴えた。催眠剤のレンドルミンの服用量が上限を大きく越え、体調に悪影響を与えていたので服用量を少しずつ減らしていた。
「とてもよく効く安定剤を飲ませるから、それで気分良く眠れるよ」
私はエビオスの偽薬2錠を薄めたカリン酒で飲ませた。
飲み終えた母は、流れ星が見たいから足元のカーテンを開けてくれと言った。その時間からオリオン座大流星群が最大になると、夕暮れのニュースで言っていたのを覚えていたようだ。
「流星が見えたら、仕事が上手く行くように、って頼んでおくね」
仕事に戻ろうとする私に母が言った。催眠剤を減らしてから、母の頭が少ししっかりしてきたようだ。
その日の朝、母は起き上がるのは無理だと言っていた。いつものことなので気にせず、背を押して起こすと、足が震えて立っていられない。筋力が弱った老人によく見られる症状だ。
「しっかりしな。今、立たないとこのまま寝たっきりになって死んじゃうよ」
強く言うと「もうこのまま死んでもいい」と、母は弱気に答えた。
「希望通り、すぐに死ねば良いけど、長く寝たっきりになって死ぬことになるよ。それだけでなく、オレは介護に追われて仕事ができず悲惨なことになる」
そう言うと「それは困る」と母の震えは一瞬で収まり、しっかり椅子の方へ歩いて行った。
その日の散歩はいつものように出かけた。
弱っていた母が3時間の車椅子散歩に耐え、赤羽自然観察公園では伝い歩きした。
高齢の老人の体調の判断はとても難しい。もし、老人施設なら私のような厳しい対応は無理だ。日誌に担当者は "筋力低下が著しいく介助しても立てなかった。" と書いて、寝たっ切りへ一直線になる。
12時前、様子を見に行くとエビオスの偽薬が効いて、母は気持ち良さそうに眠っていた。
ベランダに出てオリオン座流星群を見ようとしたが、東京の夜空は明る過ぎて見えなかった。
その頃までは、母は偽薬で眠ってくれたが、やがて眠りが浅くなり頻繁に私を起こすようになった。極度の睡眠不足に陥った私は体を壊し、十分な介護が出来ずに母の死期を早めた。
死別後、少々体に悪くても強い睡眠薬を飲ませるべきだったのでは、と後悔した。
総合的に見てどれが良いのか、私が判断するのはとても難しい。かと言って、家庭医にも正しい答えは出せない。
偽薬は母に満足感を与えなかったと思っている。それでも飲ませたのは、様々な睡眠薬や催眠剤を使い続けた結果、日中に幻覚やふらつきが起き、母の生き甲斐の散歩を楽しめなくなったからだ。だから、催眠剤を減らすのは私には本当に辛い選択だった。医師に相談しても良い答えはなく、そのようなこと総てが老いとして受け入れる他なかった。
その頃から、母は一進一退をしながら弱って行き、私は母の死をはっきりと覚悟し始めた。
「もし、死んだら綺麗に描いてやるよ。」
その頃、散歩しながら母と何度も約束した。
あれから随分時間が過ぎてやっと描いた絵だ。
絵は母が家出して満州で暮らしていた頃のイメージで、レクイエムでもある。
母は私が描く女性像が好きだった。生きている内に描いて見せて上げたらとても喜んだだろう。
写真がなくても母は描ける。私の若い母の記憶は白い肌のすっきりとした襟足と上腕部だ。
左写真は過去に掲載した18才の母で口元が幼い。
満州時代は少し大人になった20才の頃だった。
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