元気なガンノイローゼだった頃。12年6月4日
半月前、以前からあったふくらはぎのホクロがむず痒くなった。見ると赤くなって真っ黒く艶っぽくなっている。メラノーマ・基底細胞がんの順に心配になった。それ以外なら案ずることはない。
念のため、経過観察のために定規をあてて接写で撮った。もし、痒みと発赤が長引き、更に変化したら皮膚科でダーモスコープで見てもらうことにした。
常備薬の副腎皮質ホルモン軟膏を塗ったらじきに痒みは消え、ホクロのことは忘れた。
今日、散歩から帰宅して、シャワーを浴びた後に思い出して、見ると赤味は消えて、いつもの乾いたホクロに戻っていた。ホクロに重なって単発の湿疹ができただけだったようだ。
若い頃は極度のガンノイローゼだった。なぜ病んだかと言うと、70才まで生きていられたら望み通りの人生を達成できると妄信していたからだ。だから、目標の一部を達成してからノイローゼは雲散霧消してしまった。
絵描きに転身して直ぐの頃、売り絵だけでは生活できないので、未経験の仕事でもベテランの顔をして受けていた。
TVCMの動画を受けた時は1週間徹夜でセル画600枚を描き、破格の300万ほどをもらった。
バッケージ用のスーパーリアルの果物の絵は、1枚で1ヶ月楽に生活できた。バブルの余韻が残っているとても良い時代だった。
その頃、ある大新聞の週刊誌からガンノイローゼ特集の取材を受けた。その頃、業界の人と飲むとガンノイローゼの逸話を酒の肴に話していたので、それを編集部が伝え聞いて取材申し込みをしたようだ。
取材は銀座の瀟洒な新聞社談話室だった。大好きな話題だったので私は大真面目に熱く語った。担当編集者にはそれが大変可笑しかったようで、何度も大笑いしていた。
後日、送られて来た記事の題名は「とても元気なガンノイローゼ患者」だった。始めシリアスな内容と聞いていたが、急遽テーマを変えたと編集部は話していた。
記事には実名掲載を許可したので北区在住画家○○46才と書かれていた。
その頃、付き合っていた女性に36才と嘘をついていた。彼女に電話すると、いつもならすぐに取り次いでくれていた母親が「私とお付き合いしても良いお年だったのね」と、なかなかとりついでくれず、それ以降、何となく疎遠になった。
取材費は出ないと言うので、代わりに仕事をくれと言うと、後日イラストを発注してくれた。
編集部で担当デザイナーと打ち合わせしていると何か変な感じがした。
その後、彼は日程と詳細を連絡すると言ったのにまったく連絡を入れず、発行日は刻々と近づいて行った。
業を煮やしてデザイン会社に電話を入れると毎度会議中で後で電話すると言う。しかし、後から入るはずの電話が全くなかった。
すぐに、デザイナーが私を外しにかかっていると思った。それならと、編集部から貰った原稿に従って3種類のイラストを勝手に描き、担当編集に日時を決めさせて強引に持って行った。
編集部には先のデザイナーと担当編集が待っていた。3枚見せると編集者はすぐ気に入り1枚を選んだ。
外す思惑だったデザイナーは横でふてくされていた。後日分かったが、デザイナーは既に親しいイラストレーターを決めていたので頭越しに私が入って来たのが不満だったようだ。
掲載画像はその時、没になった絵だ。
と言ってもデザインの世界は実力の世界で、このような汚いことは希だ。お役所体質の大マスコミの御用デザイン会社だから起きたことだろう。
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