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2012年6月 8日 (金)

20年前、絵描き転向間もない私を騙そうとした画商。12年6月7日

20年前、絵描きに転向して間もない頃、画商を通じて地方美術館の企画展への参加の打診があった。出品謝礼は5万と格安だったが、手持ち作品が増えれば良いと快諾して描いた。

企画展は話題になり、私の作品をメインにしてテレビ報道された。
企画展が終った後、画商に作品の返却と出品謝礼を求めると、5万は買い上げ料だから返却はできないと拒否された。

話しが全く違う。50号の作品を5万で買い上げに応じる訳がないだろうと私は強く反論した。念のために、同時に出品した他作家に聞くと全員が5万の謝礼を貰って作品を返却してもらっていた。

画商への不信感が募り、とにかく作品を確保しなくてはと銀座の画廊へ押し掛け、謝礼は貰わずに強引に作品を持ち帰った。

それから数日して、画商は150万で美術館買い上げが決まったから作品を持って来てくれと言って来た。すぐに美術館に問い合わせると作品買い上げは事実だった。

画商は私の作品を5万の格安で手に入れ、美術館の買い上げ料をそっくりいただく思惑だったとすぐに分かった。

「5万で強引に手に入れるような画商が信用できる訳がないだろう。もし、本気で150万を払うつもりなら、半分だけでも前金を渡せ」
そのようなことを私は強く言った。
「信用できないのか。オレの義父は芸術院会員だぞ、
お前みたいなやつは美術界で生きて行けないようにしてやる」
画商は馬鹿なことを並べ立てた。
私も負けずにやりかえしたが、結局、話しは不毛に終わった。

後日、美術界に詳しい知人に聞くと、美術館担当者と画商はつるんでいることが多いとのことだった。
私の場合、美術館を運営する市から300万程の予算が出ていて150万を支払った残金を適当に分ける手はずだったのでは、と知人は話していた。
今は地方自治体の美術館運営は厳しいので、そのようなことはなくなっているはずだ。
そのように、私は早い段階で汚い絵描きの世界の洗礼を受けた。

それから暫くして、その画商が障害者画家を紹介する番組に出演していた。
「障害者たちのために一身を投げ打って支援してあげたい。」
彼は善意の画商として熱く語っていた。
彼がその障害者をどのように支援するのか興味があったが、その後、マスコミに登場することはなかった。

それからも、様々な怪しい画商が私に近づいて来たが、最初に勉強させられたので引っかかることはなかった。


その頃、専門教育を受けていない私は絵描きとしての肩書きが必要だった。だから公募展に次々と応募した。
その経緯で公募展は玉石入り乱れていることを知った。

大まかな判断基準は、出品料が1万以上で美術団体主催の公募展は審査基準が不公正なものが多く、出品料3000円以下で審査員が美術団体に属していない公募展は比較的公正だと知った。


美術団体に属している審査員が受賞者を身内から選ぶ傾向が強いと知ったのは次の経験による。
その頃、若い知人が、東京近郊の地方都市企画の公募展のアルバイトをしていた。
私は誘われて、遊びがてらその搬入会場を訪ねた。

地方美術館の地下に広い搬入会場があった。
出品料は無料で大賞賞金は200万と高額だったので、全国から膨大な応募作品が運び込まれていた。

知人は、アルバイト仲間たちで選んだ大賞候補があると案内してくれた。アルバイトといっても画家の卵ばかりで見る目は確かだった。

その作家は100号の作品2点を応募していた。地方都市で画塾をして生計をたてている大変実力のある画家で、彼らが選んだ作品は、ほれぼれするほど清澄な冬景色だった。

審査が終わり、開催された企画展を訪ねた。すると、先の作家の作品は末席の入選だった。しかも選ばれていたのは応募2点の内の劣っている作品で、私たちが高評価した冬景色は落されていた。

大賞と入賞作品は、ありがちな古臭いつまらない作品ばかりだった。
後日、親しい画商にその企画展の画集を見せて経緯を話した。
すると彼は末尾の審査員の名を見て、ある有名美術団体の名を上げた。そして、入賞作品の大部分は審査員に近い画家ばかりだろうと、こともなげに話した。
その時、身内を大賞に選ぶために、対抗馬になりそうな優秀な作品を落とす、公募展の仕組みを知った。

「美術界の発展のために、大胆で清新な才能を求む」
公募展の言葉を真に受けて応募したその画家が気の毒でならなかった。細々と子供たちに絵を教えて暮らしていた才能は、そのようにして葬り去られるのだと痛感した。


私は異端だから裏話を話した。
プロの画家ならそれくらいのことを二三度は経験している。しかし、決して口外しない。彼らは情けないほどびくついていて、誰かに聞かれていないか周りを見回し、慎重に言葉を選んで喋る。それが絵描きの世界だ。

低迷している絵市場から美味しい話しはなくなり、上記のような悪質な画商は稼ぎの場を変えた。しばらくはこのようなことは起きないが、活況が戻ればすぐに復帰するだろう。

私のケースでは、一般の絵描きは美術館買い上げの実績が残ればと、代金をだまし取られても諦める。画商はそれを見越して、私から作品をただ同然でせしめようとした。

私が絵を渡していたら、画商はあれこれ言って150万も踏み倒したはずだ。まさか、と思うだろうが、後年、そのようなことを数多く耳にした。それは明らかに詐欺であるが、それを訴えたら厄介な絵描きとして画壇から干される、と絵描きたちは寝入りしている。


その国の品位はアートがどのように扱われているかで決まる。
その意味で、先進国の中で日本の品格は最低だと思っている。

添付画像はわたしの生涯で一番高額で売れた80号の作品だ。
この作品は大日本印刷・読売新聞・JR西日本の三社共催で開催された大阪駅コンコースにあるセルベスギャラリーでの個展に展示した。作品は大阪のテレビでも紹介され、ある著名な画家と美術評論家が賞賛していた。更に、様々な出版物でも見開きで大きく紹介された作品だ。

しかし、この作品はその少し前に応募した有名公募展で落選している。その公募展の入選作品数は膨大で、それらより劣るとはどうしても思えなかったが、上記と同じ裏事情があったのだろう。


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