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2012年7月24日 (火)

涼しさは終わり、本来の夏が戻って来た。12年7月24日

すばらしい夏の午後だ。日影は涼しいが日射しは暑い。
知らぬ間に、散歩道の百日紅は満開になっていた。
空き地に疎らに咲くひまわりは、どことなく寂しい。

相変わらず、欧州は経済低迷中。
音楽や文学は景気の影響を受けにくいが、絵画はもろに景気の影響を受ける。
先日の個展に来た絵描き仲間が、パリ在住の日本人絵描きが全く売れなくなったと嘆いていたと話していた。

好景気時はコンテンポラリーアートが市場を席巻する。投機筋が明快なコンテンポラリーアートを好むからだ。瞬時に決断を強いられる彼らに、コンテンポラリーアートは向いている。

その点、私の描く叙情的な具象画は内省的で、彼らにまったく人気がない。心静かにしていては、投機のチャンスを逸するからだろう。

しかし、経済危機には叙情的な絵は向いている。
芸術はいつも経済危機をバネにして進化した。
ビートルズは英国の経済危機の時にデビューした。
ピカソもダリも第一次世界大戦、世界恐慌、第二次世界大戦と続く不安な時代に現われた。
対して、好況時にデビューした作家たちはおしなべて軽くて薄い。

米国はコンテンポラリーアート一辺倒で、叙情的な具象画はイラストの範疇で芸術と見なされない。
対して日本は、伝統的にイラストの評価が高い。
たとえば、北斎も歌麿も写楽もイラストレーターだった。私は日本の評価が自然だと思っている。

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本籍は福岡市博多区にあった。遠くて、戸籍謄本を取り寄せる都度煩わしさを感じていた。加えて戸籍上の姓名は正字ではなくパソコンで出ない。それで、母の死を機会に戸籍を現住所に移し、旧字を正字の現在の名前に変えた。
ちなみに、名の正字への変更は容易だが、姓は戸籍を変える時しか認められない。
旧字の名前を正字に変える時、悪い運気に変わるのではと不安だったが、2年後の今はこれで良かったと思っている。

そのように不安に囚われるのは人の常だ。「人は考える葦」とパスカルは言ったが、風に揺れ不安げな葦を見て人に例えたのかもしれない。

人の不安のもとは、発達した頭脳だ。その恩恵は大きいが弊害も多い。そう思うようになったのは、野良ネコを看取ってからだ。独りで誰にも助けを求めず死んで行く彼らは人より遥かに立派だった。人が野生のままに生きていた頃は、誰もがそのように静かに死んで行ったのだろう。

人にとって死ほど恐ろしいものはない。だから、それを癒すように宗教がうまれ、死後の世界や魂を信じるようになった。架空であっても死後の世界や魂を信じる者は安らかに死ねると宗教学者は言う。私もその通りだと思っている。

インデアンは現世と死後の世界に隔たりを設けなかった。彼らの考えでは、現世は本当の長い人生の一部にすぎず、死は生活の場が変わるだけのことだ。だから、インデアンの老人は死を恐れず「今日は死ぬのに良い日だ。」と、草原に座り従容と死を受け入れることができた。

画像は「父は空母は大地」の一場面。

・・・ヨタカの さびしげな鳴き声や
夜の池のほとりの
カエルのおしゃべりを 聞くことができなかったら
人生には どんな意味があると言うのだろう・・・

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