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2012年7月26日 (木)

暑い夏の日、記憶はいつも一点に戻る。12年7月26日

明け方は涼しく、開け放った窓の冷気で目覚めた。13階の夜はとても涼しい。
強い陽光が地上を照らしている。暑い日中に絵の納品に行く。

昨日、散歩をしながら 兎追いし 彼の山 の「故郷」を終始口ずさんでいた。体は元気だが心が疲れているからだろう。
個展が終わってから「疲れたでしょう」と声をかけられる。私の場合は殆ど気疲れだけで、体は可愛げがないくらい元気だ。疲れにくいのは体質で、子供の頃から一日中走り回っていても息切れしなかった。その体力があったので、母の介護を8年間できた。

しかし、そんな私でも終末期の母の介護は過酷で、過労から胆嚢炎を起こして倒れ緊急手術をした。胆嚢炎は極度に体力の弱った寝たっきり老人の病気で、私の場合は執刀医は胆嚢ガンを疑っていたようだ。

腹腔鏡手術の事前の説明で、胆嚢が肝臓と癒着している場合は、急遽開腹手術に変え、癒着した肝臓をえぐるように切除する、と執刀医に言われた。
「2日前から起きた急性の痛みですから癒着はないでしょう。」
そう応えると執刀医は複雑な顔をしていた。
術後数日して、細胞診したが何もなかったと報告があった。その時、ガンを疑われていたことを知った。

手術から退院まで世話をする者がいないので母を同じ病院に預けた。
母は、その僅かな間に病院のまずい食事が食べられず別人のように弱り、まったく立てなくなった。
私は1週間の予定を前倒しに4日目に退院した。そして、術後の激痛に耐えながら、母を車椅子散歩へ連れ出した。本当に無茶なリハビリだったが、それで母は劇的に回復した。しかし、それが最後の回復で、再度弱り始め2ヶ月後に死去した。

私が胆嚢炎を起こさなかったら、母はあと1年は生きていたはずだ。しかし、私は更なる過労で取り返しがつかないことになっていたかもしれない。母は追いつめられた私を救うために、前倒しに死んでくれたのだと思っている。

死ぬ3日前、ベットの母は穏やかな表情のまま一筋の涙を流した。人前で泣くような母ではなかったので私は驚いた。
死別後、長い間涙の意味を考え悩んでいたが、今は自分の人生と私たちへの惜別の涙だと思っている。

涙を流した日の深夜、様子を見に行くと母はハッと目を覚ました。
「苦しくないの。」と聞くと
「どこも苦しくない。とってもいい気持ち。」
と笑顔になった。母は重い心不全を起こしていて酸素飽和度は極端に低く、とても苦しいはずだったが・・・
その後、母は天井の一点を見つめていた。
「何が見えるの。」と聞くと
「とってもきれい。」と再び笑顔になった。
その時、母には臨死時の美しい光りが見えていたようだ。

死別から2年が過ぎた。もし生きていれば100歳近く。母の抱えていた病を思うとそれは到底到達不可能な歳で、やっと母の死を納得するようになった。

今は母の死に代わって自分の死を考えている。元気な今、死を分かることは難しいが、フルマラソンの最終コーナーでデットヒートを繰り返している時の苦しさに近いと想像している。

死ぬ時は何も考えず、ただ苦しみに耐えているだけだろう。そして限界点を越した時に脳内にエンドルフィンが放出されて心地良い臨死感覚の中で死を迎えるのだろう。

画像、勇者の死
「父は空母は大地」より

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