富士山開きと夏越しの大祓と母の命日。12年7月3日
6月30日、富士塚のお山開きのお詣りをしてから、湯島天神で夏越しの大祓を受けた。富士塚も大祓も40年以上続けている。ただ、2年前の母が死んだ前日だけは欠かした。
富士塚は高さ15メートル程で十条の街中にある。いつもはひっそりした通りに1キロ程の夜店が並び、地元の人たちでとても賑わう。昨日は土曜日に好天が重なり、浴衣がけの可愛い女の子たちが大勢来ていて、そぞろ歩きが楽しかった。
湯島天神の大祓は、相変わらず若い宮司の長い前ふりにうんざりした。それも、偏狭な皇国史観で、それが嫌で参加しなくなった人は多い。
母が死んだ年は死の1週間前、私と母の穢れを移した人形 (ひとがた) を郵送で送った。
大祓の後、人形は湯島天神でお祓いされ、後日東京湾に流される。
大祓を受けた後、女坂下にある小さな画廊・はぐろ洞で河童展を観た。作品のメインは、和紙を樹脂で固めて架空の動物を作る作家、旧知の江本創氏の河童像だ。今回の作品は深い精神性を感じ、味わい深かった。
帰りはアメ横のカワチ屋で買い物をした。
ドライトマトにパルメザンチーズ、オリーブ漬け、アーモンド1キロ1300円は安い。
のどが渇いたので果物屋でヤシの実のジュースを飲んだ。
この買い物を済ませば個展が終わるまで安心だ。
北赤羽駅で下車し、7月1日の母の命日のために駅前のライフで仏壇の供物と花を買った。
仏壇を綺麗にして、繕い物をしてから朝5時まで仕事をした。
命日の一日は、寝入って3時間後の午前9時に姪からの電話で起こされた。
「おばあちゃんの命日だから・・・」
起こしたことを謝っていた。
その後、母の命日を覚えている知人たちから花束や供物が次々と届いて、結局、二度寝はできなかった。
午後は母の世話を手伝ってもらっていた施設から二人が花を持って訪ねて来た。
いつもは静かな住まいに女性二人が来てにぎやかになった。
結局、一日の散歩は夜の10時近くになった。
下の画層のイメージは宝塚の男役だ。
スキャンしてアップすると、肉眼では気づかなかったところが炙り出される。
この絵も原画より鼻筋が細く見えるので早速修正した。
肉眼で見た画像は脳の視覚分野が補正するので正確ではない。
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