個展5日目。老いた同志交々至る。12年7月20日
個展会場では様々な人が行き交う。彼らは、なぜ描くのか、なぜ創るのかと問いかける。
その答えは心に大きな隙間があるから。隙間は何かを創ることでしか埋まらない。しかし、埋めても埋めてもそれは広がる一方で更に創り続けることになる。
昨日は古い友人たちが会場に来たので、帰りにみんなで生ビールを飲んだ。
一人が、40を過ぎた娘がまだ一人でいると嘆いていた。
私は家族なしで幸せを維持するのは難しいと答えた。
友人は何も答えずちょっと俯いていた。
社会全体が家族になれば誰でも幸せになれるが、それは難しい。だから、シェルターのように家庭が必要になってくる。
友人たちは理系で、飲んでいる内に自然に原発問題になった。
「あいつらが顔を出し始めると運動は終わりだな。あのウソっぽい言葉は逆に大衆の熱気を引かせる。」
一人が、文化人の名を羅列して言った。
それはともかく、・・自分たちの反対運動に協力しないのは非国民・・的な言葉に私も引き気味になっていた。どんな正論でも押し付けられると嫌になるものだ。
原子炉問題は経済問題で、精緻な経済システムを無視した情緒的な反対運動はいずれ頓挫する。
原発は操業を止めただけでは何も解決せず、むしろ経済活力低下により膨大な費用を要する廃炉作業が停滞し、最も怖い原発の廃墟化を招くことになる。
更に津波被災地瓦礫の分散処理を猛反対していた人たちと原発停止運動の人たちが重複することも気になる。それは廃炉を要求しながら、廃炉で発生する膨大な汚染廃棄物を拒否する矛盾をはらんでいるからだ。
原発から話題は東南海地震に変わった。
一人は定年後に始めた仕事を止めたら、原発のない郷里の宮崎に帰る予定だった。しかし、宮崎も10メートル以上の津波に襲われる。何処にも安全な場所はないと彼は嘆いていた。
日本には完全な安全地帯など存在しない。何千年もリスクと共存して来たのに、今更完璧を求めても無理だろう。完全な安全を求めるあまり、心を病んで健康を損なっている多くの姿も矛盾に満ちている。
最後に友人たちの訃報やガン発病の話になってお開きにした。
いつものように田端を過ぎる辺りから猛烈な眠気に襲われ、立ったまま何度も眠っていた。
北赤羽駅を下車すると冷たい風が吹いていた。
帰宅して熱いシャワーを浴び、繕い物をし、洗濯をして、少し録画を見て午前2時に就寝した。
今日は5日目。来客の予定は多い。
読売に加えて東京新聞夕刊にも作品展の紹介が載ったが、その効果はまったく感じない。
来客は、常連とfacebookとブログからが殆どだ。知らない人に送った案内状の効果は殆どなく、多大の手間と切手代は無駄に終わった。
画像は「シネマ」
10年間、描きかけだった絵を個展寸前に完成させた。
そのシーンは父が短期間経営していた、小さな港街の映画館での記憶だ。
父が進めた文化路線はチャンバラ好きの漁師町の気風に合わず、すぐに経営から手を引いた。
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