午後の陽に テレビ止めれば 蝉の声 12年8月16日
澄み切った広大な夏空だ。白い積雲が浮かび、遠くスカイツリーが青くかすんで見える。お盆休みのせいで大気は澄み切っていて、いつもの東京とは違う。猛暑日だが湿度が低く堪え難いほどではない。
今日は送り火。まだ街は閑散として、顔なじみの床屋さんも本屋さんも八百屋さんも休んでいた。
新暦のお盆を済ませているので、旧盆はおはぎを供えただけだ。しかし、死別した肉親たちへの想いは磁力線のように回帰し、忘れることはできない。
「失えば何かを得る。」
最近、気づいたことだ。肉親や知人を失えば優しさを知り、病を得れば健康のありがたさを知る。だから、悲しみや苦しみを知る者は優しさが深くなるのかもしれない。
死の意味も知った。死は生きている証で、死者に死はあり得ない。だから、死・病と生は一対で切り離すことはできない。もし、無理に切り離してしまうと、却って病や死を恐れ苦しむことになる。
住まいの非常階段に蝉が幾匹も死んでいた。それが日に日に増えて行かないのはカラスや小鳥の餌になっているからだろう。自然での死は生きているものを助け、無駄にはならない。
画像は「サンタの夏休み」
サンタは夏の間、南の島でサーフィーンをして英気を養っている。絵では分かりづらいが、暖炉の奥からトナカイが覗いている。
自堕落で長い長い夏の休暇は皆の憧れだ。サンタはサーフィンをしたり、昼間から飲んだくれたりし、
「絨毯を砂で汚して ! 」なんて文句も言われず、好きなものに囲まれ幸せ一杯だ。
元の絵は暖炉の広告に頼まれたものだ。
味気ない絵だったので、広告に使った後、サンタとトナカイを加え、外の風景を南の島の海辺に描き変えた。
描き変えたこの絵は、英語教室で成功している知人に買い取られ、今は多くの子供たちが楽しんでいる。
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