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2012年8月 2日 (木)

夏木立 少女のうなじ 憂い増す 12年8月2日

8月1日
夏には悩まない。なぜなら悩みの回路が暑さでフリーズしているからだ。
最近、FBにネコ写真のアップが多いので、楽しい写真を選んではプリントしている。以前はプリントをペット好きの母に見せて喜ばせていた。今は隣の奥さんや他のペット好きに見せている。しかし、母ほどに楽しさを共有できない。

母は様々な動物に出会える車椅子散歩が大好きだった。
その中で、アラスカン・マラミュートのさんちゃんとはとても仲良しだった。陽気で人懐っこい子だが、その頃は既に10歳近く、極北の犬種が猛暑の東京で長生きするのは難しく思えた。

昨日、Googleのストリートビューで昔の散歩コースを見ているとさんちゃんが映っていた。撮影は2009年10月。母もさんちゃんも元気な頃だ。画像の中では、母も、友人たちも健在なことが、とても不思議な気がした。

去年の夏、ギャラリーから個展の企画が来てから一瞬に1年が過ぎた。今はその後処理と次の仕事に忙殺されている。
今日は久しぶりに東京北社会保険病院の庭で一休みした。涼しい風が吹き抜け、夏木立にミンミンゼミが降るように鳴いていた。長い時間、自然の移ろいを忘れていたことに気づいた。

 夏木立 少女のうなじ 憂い増す

今は、買い物した重い荷を提げて長い酷暑の道を歩いても平気だ。
しかし、いつか衰え、外出もままならなくなる。だから、苦もなく散歩と仕事ができる今の幸せをしっかりと味わっている。そう強く思うのは、病気知らずで元気だった友人たちが次々とガンに倒れたからかもしれない。

画像、"sentimental Godzilla" 日南市大堂津小学校へ寄贈

ビルをなぎ倒し、東京タワーをへし折り、
国土防衛隊の猛撃にもびくともしなかったのに、
今は老いて、心優しく 静かに音楽をかなでている。
それは南の国の雨上がり。
老いたゴジラの琥珀色の追想の日々。

Goji_2

8月2日
美しい夕空にさわやかな風。夕暮れの散歩は心地よい。
赤羽台の斜面の深い木立でヒグラシが鳴いていた。いつもの年より早い気がする。毎日、夕暮れに涼しい風が吹くからかもしれない。黄昏の道で、鈴を振るような澄み切った音は心に染み入る。

不意に、人生への疑問がほんの少し氷解するのを感じた。
人が悩み苦しむのは時計やカレンダーに従っいるからかもしれない。ヒグラシの声に耳をかたむけるように、季節の移り変わりに従って生きれば、人生は穏やかに過ぎて行くのかもしれない。

日南市大堂津に子供の頃から親しくしているおばあさんがいる。彼女は若いお嫁さんの頃から私を可愛がってくれた。
今は80代半ばだが、私が好きなものを覚えていて、時折送ってくれる。
その中にムロアジの干物があった。散歩から帰ってからムロアジを焼いて、たっぷりの大根おろしで食べた。
うんうんと声がでるほど美味い。日本人で良かったと思うほど美味い。

新Macの立ち上げに熱中して装丁絵の制作が遅れてしまい、締め切りを月曜に延ばしてもらった。
納品する頃には暑さが和らぐ。そうしたらどこかへ遊びに行こう。

画像「鉄の河」バニーコルアート社蔵

建設途中から、そのビルはすでに廃墟に向かいつつあった。
夕暮れの都市には業火のように無数の鉄の河が広がっていた。
都市は鉄の河に漂流する巨大な墓標なのかもしれない。

都市が死の象徴であるのは人が自ら招いた帰結だ。
人は廃墟以上のものは作り得ない。
だから、廃墟を悲劇と言うのは傲慢すぎる。

今、アマゾン・クリチカ族首長の言葉が思い浮かぶ。

・・・自然がそこにあって、鳥が歌い、森がささやく。
なんと素晴らしいことか。
あなたたち白人は優れたテクノロジーを私達にもたらした。
しかし、テクノロジーは私達を幸せにしない。
私達の幸せは自然とともにあり、自然が消滅すれば、私達もほろびる。

絵に現代のノアの方舟を描いた。
廃棄しか作れない人が、地球を支配してしまったことへの怒りかもしれない。
甚だしく矛盾に満ちているのは、福島の高濃度汚染地区だ。
人は恐れ忌避するが、そこは野生動植物の楽園に変わりつつある。

人は自然を支配し作り替えた。
そして、自ら作り上げた害悪を恐れ、広大な土地から去って行った。

自然の動植物にとって、放射線より人の方が遥かに凶悪であったことに我々は気づくべきだ。
彼らも放射線の害は受けるが、人から受けた害悪と比べたら、それはとても小さい。

チェルノブイリでは・・・
ビルのエントランスホールに白樺が生え、
草木の生い茂る高速道路を鹿などの野生動物が行き来する。
もしかすると・・・
皮肉にも、放射性物質は彼らを守る神なのかもしれない。

環境を語るとき、人は人の立場でしか語らない。
それはとても傲慢なことだ。

Ilo_

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