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2012年9月29日 (土)

従来型鬱から新型鬱まで、新宿で一直線に繋がった。12年9月29日

昨夜は四谷区民ホールで自殺対策うつ病対策啓発ミュージカル「やまない雨」を観た。知人のプロデュース・作演出・主役で、彼自身の鬱病体験が下敷きにある。

前半はリーマンショック時、ある不動産会社の部長が自殺未遂へ追い込まれて行く姿を追った。
理不尽に自分の判断ミスを部下の主人公へ責任転嫁する常務。収入が減ることを恐れるだけの妻と娘。部長は次第に心を病み自殺へと追い込まれて行く。

後半は、適切な治療と家族の理解で立ち直って行く主人公。彼だけでなく、誰にでも鬱病に追い込まれる危険と隣り合わせにいることを思い知らされたミュージカルだった。

部長が追いつめられた状況と闘わなかったのは、仕事と家庭を失うことを恐れてできなかったのだろう。

先日、年長者から教わった喧嘩の作法を書いた。その中に「喧嘩をする時は殺される覚悟でやれ」があった。それは到底私にはできないと思ったが、ミュージカルを観た後、別の形で役立っていたことに気づいた。

私は幾度となく取引先や発注元と大喧嘩した。その時、いつも失業覚悟で喧嘩していた。恋人との喧嘩も同じだった。総てを失う覚悟で自分の考えを訴えれば、失うものも大きいが鬱病にもならない。しかし、自分に絶望しての鬱病がある。こちらは私も罹りそうだ。

ロビーで知人たちと少し雑談してから別れ、新宿通りを駅方向へ急いだ。
途中の消防署から、消防車がけたたましくサイレンを鳴らして出て行った。それに引き続き、はしご車や司令車、救急車の車列が猛スピードで通り過ぎ、明治通へ右折して行った。

閉店間際の世界堂にかろうじて間に合った。
3階の絵の具コーナーへ急ぎ、下塗りに使うジェッソと下描き用の白チョークを買った。これで出直す二度手間が避けられ安堵した。店の通路で顔なじみの店員と会った。
「あらすてきな格好して、デート帰り」と聞かれたので「違う、野暮用だ」と答えた。重いドラマの後のサイレンで、更に重くなっていた気分が少し明るくなった。

ユニクロとビックカメラが合体した伊勢丹前の「ビックロ」は大にぎわいだった。ちょっと覗いてみたが、電器店か衣類店か頭が混乱した。他の客たちも「どちらなのか迷っちゃうね」と話していた。迷うところが新しいのだろう。

埼京線は満員だった。新宿を出てすぐ車内で喧嘩が始まった。
「この野郎。何で普通に謝れないんだ」
40代のサラリーマンが20代のフリーター風の若者を後ろから羽交い締めにして怒鳴っていた。どうやら、若者が足を踏むかどうかしたのに、相手を無視したようだ。若者は体格は良いが顔面蒼白で何も喋れない。すぐにサラリーマンらしき他人が間に入ってそれ以上は進展しなかった。若者は終始何も喋れず板橋駅で降りて行った。

その時、先日のNHKスペシャル「職場を襲う“新型うつ”」を思い出した。新型うつは先の真面目な部長さんや、自分に絶望して罹る従来型の鬱病とは全く違う。
社会の規律や労働についていけず落ちこぼれて行く若者特有の病気だ。病気である以上、正しく治療すれば社会復帰できる。

しかし、それを病気とするか甘えとするか、判断は別れている。
患者の親は決まって「手のかからない良い子でした」と言う。そこに大きな原因があるようだ。
その言葉の裏に、社会に出れば当然受けるストレスを敢えて与えない親の姿勢が見える。例えば、人に迷惑をかけたら謝ると言った基本を家庭で教えていない。だから、生まれてから人に謝ったことがない若者が沢山いる。そのために社会に出てから、上司に注意されると耐えられずに会社を辞める。

先の車中の若者もすぐに謝れば何も起きなかったが、謝り方を知らなかったのだろう。自殺対策うつ病対策啓発ミュージカルの後に電車内での諍い。それらはしっかりと一直線状にあるように感じた。

画像、「青いナムジル」より。
この時代の若者たちは17,8歳でも雄々しく闘っていた。

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