« 人生の最期の、死を間近にした患者が抱く五つの後悔。12年9月3日 | トップページ | 絵画理論と死生観の考察。12年9月8日 »

2012年9月 6日 (木)

左右のアキレス腱断裂の思い出と、ディズニーランド。12年9月6日

一昨日の午後、その前日行けなかった知人の個展へ銀座へ出かけた。
駅への道すがら、20歳ほどの女の子が松葉杖で不器用に歩いていた。松葉杖の脇に体重をかけているため肩が上がっている。松葉杖は脇にはあてるだけで、体重は手の握りにかけるのが正しい使い方だ。
「大丈夫 ?」
声をかけると彼女はにっこり笑った。
「まだ下手だね」と言うと、足の小指を骨折して昨日ギブスが取れたばかりだと話した。
「私は両足のアキレス腱を切ったから、松葉杖は巧いよ。松葉杖で自転車を追い抜いたことがあるくらいだ。」
自慢すると彼女は驚いていた。その頃はとても習熟していて片側の松葉杖を軸に回転しUターンができたくらいだ。
「松葉杖を突いていると、いい男が声をかけてくれるから楽しいよ。」
慰めると「自分のことですか。」と彼女に言われたので慌てて否定した。

最初にアキレス腱を切ったのは41歳の前厄の年だ。
その数ヶ月前からアキレス腱が軽く痛かったが気にしなかった。当時は脚力に自信があり、高いガードレールでも左右に飛び越えながら走っていた。

その夜は友人と池袋で飲む約束があったが遅刻して駅まで走った。そして、発車寸前の電車へ向かって駅階段を5段抜きで猛スピードで駆け上った。その時、左足首を丸太でぶん殴られた痛みが走り、突然歩けなくなった。

触れてみると、あるはずのアキレス腱がない。切れたとすぐに分かり、びっこを引いて池袋で友人に会った。それから、二人で救急病院へ行って応急措置をしてもらい、朝まで二人で飲んでタクシーで帰宅した。

母は別段驚かなかった。
その頃は、池袋から歩いて帰り、服を泥だらけにして血だらけで帰宅したこともあった。その怪我は酔っぱらっての帰り道、熊野町辺りの立体交差の斜面から転げ落ち、全身擦りむいてのことだった。酔って体が柔らかかったおかげで大怪我はしなかった。

「また、馬鹿やっちゃって。」
母は素っ気なかった。私は自分で入院の準備をし「じゃ行ってくるよ。」と一人でタクシーを拾って、近くの病院に入院した。

手術後、3日目に友人が見舞いに来た。
私は退屈していたので、友人に車椅子を押してもらって飲み屋へ行きビールを少し飲んだ。

門限過ぎて病室に帰ると婦長さんが鬼のような顔で待っていて、猛烈に叱られた。
その後も、病院周りを車椅子で散歩するのは止めなかった。一度、犬の糞を踏んで、大変な思いで車輪を外の水道で洗ったことがあった。そんな、不真面目な患者だったので、早めの退院を申し出るとすぐに承認された。退院後は、毎日松葉杖で7,8キロは散歩した。それで始め書いたように、とても巧くなった。

二度目に右足のアキレス腱を切ったのは43歳の厄年だった。鎌倉でデートの約束をしていたが、目が覚めたのはお昼近くで約束の時間になっていた。

慌てて飛び出し、東京駅の発車のベルの鳴る横須賀線へダイビングするように飛び込むと断裂していた。
仕方がない。品川駅で下車し、前回と同じ近所の病院に電話して受け入れを承諾してもらった。それから、彼女と会う約束の鎌倉の美術館に電話を入れて探し出してもらいその旨伝えた。その時、馬鹿なことに、アキレス腱断裂のショックより遅刻の言い訳ができたことに安堵していた。今なら携帯があるので、このような事故は起きないかもしれない。

救急車が間もなく到着し、病院が待っていると話すと赤羽まで運んでくれた。道々、赤羽まで行くのは初めてだと救急隊員が話していた。

二度目の入院は真面目に過ごした。
看護学校が併設されていた病院なので、可愛い実習生が毎日世話してくれたし、彼女も見舞いに来てくれ、とても楽しい入院生活だった。

無事退院してからはギブスに松葉杖で新宿でも渋谷でも遊びに行った。何処でも親切にしてもらえてとても心地良かった。

ギブスが取れてからは心を入れ替え、遅刻しない、慌てて走らない、を自分に強く言い聞かせた。それから今まで大過なく過ごせたのは、その心がけのおかげだと思っている。

ところで銀座の個展へ行く件は・・・京浜東北線が田端を過ぎる辺りで雲が晴れ青空が広がったので、急遽、銀座行きからディズニーランドへ変更した。

舞浜で下車してディズニーランドのゲートへ向かう時、いつものワクワクした高揚感があった。6時からのアフター6パスポートは3300円。すでに30分前から長蛇の列ができていた。

一番好きなカリブの海賊は2年以上行く度に工事中だったが今回は開いていた。
待ち時間なしでボートに乗った。以前、行った時はジャック・スパロウの人形が1体だけだったのに、各場面それぞれ10体ほどに増えていた。その工事のために度々休んでいたようだ。

このアトラクションは何度行っても考え込む。海賊たちは略奪・殺人・拷問と残虐なことをやっているのに、とても楽しい。こんな馬鹿なことを嬉々としてやれたのは、当時の平均寿命が40歳ほどだったからだろう。短い人生を一か八かの冒険をしながら過ごした彼らにはとても共感できる。

割愛するが、今回もとても楽しい夢のようなディズニーランドだった。
11時過ぎに北赤羽に着くと、雨上がりの道に草木の爽やかな香りがした。これで思い残すことなく明日から仕事に集中できると思った。

画像はディズニーランドのホテル。
夕空がとても奇麗だった。

Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

« 人生の最期の、死を間近にした患者が抱く五つの後悔。12年9月3日 | トップページ | 絵画理論と死生観の考察。12年9月8日 »