幸せな頃、私はマーと呼び捨てで呼ばれていた。12年10月11日
最近、人生で楽しかった頃を考えている。すぐに想い浮かぶのは、自然の中を誰かと歩いている私だ。山や田舎の風景と共に、友達・恋人・家族たちの笑顔が想い浮かぶ。
毎週、幼い姪たちが赤羽の家に泊まりに来ていた頃も楽しかった。母と姪たちの笑い声を夢のように想いだす。
そのように私は、針のない時計のように記憶の中をとめどもなく彷徨っている。しかし、今を不幸とは思っていない。孤独で、生活は不安定だが不幸ではない。それは、好きな仕事を選んだからだ。
夕方のNHKで、盲目の天才ピアニスト辻井伸行にインタビューしていた。母親と行った5歳のグァム旅行で、ホテルのピアノで戯れにクレイダーマンのヒット曲を弾いていたら聴衆が集まり拍手されたと話していた。それは若い天才ピアニストらしい逸話だった。
彼は、ピアノの練習が楽しくて楽しくて一度も嫌だと思ったことはなかった。そこが子供の頃の猛練習が嫌だったと話す一般の演奏者と大きく違う点だ。
それは絵描きと似ている。殆どの絵描きはデッサンを含め絵を描くことが楽しくて楽しくて苦痛ではない。それが絵描きと音楽家の違いかもしれない。
NHK「試してガッテン」で山椒を取り上げていた。
唐辛子は脳全体を刺激して味覚も一時的に鋭敏にするがすぐに効力は消える。対して山椒は長い時間、味覚のみを鋭敏にする。だから、口に含んで20分後に食物を口にすると鋭敏に味を感じると言う。
分かり易く言うと、味覚が鋭敏な子供の頃に初期化されるようだ。
子供の頃食べた駐留軍から横流しされたハーシーのチョコレートは天上の食べ物のように美味しかった。今、同じハーシーを食べてもあの感動はない。美味しかったのは子供の頃の味覚が鋭敏だったからだ。
早速、山椒を買って来て少し口に含んで口の中を痺れさせてから安物のチョコを食べると、子供の頃の感動が口中に蘇った。更に、安物のトマトジュースを飲むと、銀座のレストランで飲んだコップ一杯2000円のトマトジュースの味がした。
このことを母が生きている頃に知っていたら、終末期に食欲がなくなり、食べ物が砂を食むみたいと苦しんでいた母を喜ばせられたかもしれない。
昨夜の夢に昔別れた彼女が現れた。彼女は20代の若さでとても綺麗だった。夢の中で、彼女は私を何度も「マー」と呼んでいた。「マー」と呼び捨てにするのは母と彼女だけだ。
そう言えば私を「マー」と呼ぶ者がいなくなった。
来月は白菊会に献体した母が遺骨になって帰って来る。
さて、母をどうやって迎えようか・・・貧乏絵描きでは、法事らしきことを何もやれないのが少々辛い。
そのうち、分骨して郷里の寺を継いだ同窓生に頼んで、ささやかな法事をやってもらおうと思っている。彼は今時珍しい清廉な坊主だ。
画像、「月夜にぴょん」
作品は円いお皿を月に見立てて、月夜にぴょんとした。
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