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2012年10月15日 (月)

スランプから抜けている自分に気づいた。12年10月15日

ふいに、母と死別してから2年4ヶ月の間、スランプに陥っていたことに気づいた。
その間に休まず制作を続け個展もしたが、想い返すと制作時間が限られた母の介護中の方が集中して描いていた。それは、母が生きているうちに作品を見せて上げたいとの強い想いがあったからだ。

私の作品の最大の理解者は母だった。完成前の作品で自信がない時は母に見せた。もし、母が目を輝かせて褒めてくれれば、その通りに力強く仕上がった。「いいね」と褒めてはくれるが熱意が薄い時は、仕上げても良くならなかった。

母は感性を97歳で死ぬ1週間前まで保っていた。心肺が衰え声を出す気力が失せていた母のベットに作品を持って行くと、母は笑顔で指先で画面を撫でながら「いいね。いいね」と幾度もつぶやいていた。
死別してからも作品のイメージはフラッシュバックするように去来したが、それを描く気力は失せた。

私にとって描くことは希望であった。
今も希望はデジャブのように蘇っては消える。消えそうになるイメージを気力を奮い立たせて掴み取るのは、描くことが生活の一部で失えばその先に破綻が待っているからだ。

先日、死んだ絵描き仲間のご主人から作品展の案内が来た。
彼女は肝臓ガンで2ヶ月生死を彷徨い、2年前の夏の終わりに死んだ。

彼女の絵画教室を大手企業のデザイン部を定年退職し年金暮らしに入った夫は手伝っていた。
米国暮らしの一人娘は葬儀にも帰国しなかった。後日、追悼式に行くと残された70歳の夫は気の毒なほどに憔悴し切って、このまま一気に老いて死を待つばかりと思ったほどだ。

案内状には「鎌倉の会場に是非お訪ね下さい」と力強く書かれていた。
彼の近況を知る共通の知人に電話してみると、意外にも彼は以前以上に元気だと話した。

アトリエ兼絵画教室は、鎌倉の閑静な住宅地にある。広い自宅に安定した年金と暮らしに不安はなかった。更に、絵画教室の生徒さんの3分の1は未亡人で、寄ってたかって彼の世話をしていると知人は話した。
それでは楽しくて仕方がないだろうと思った。

その話から、知人の近所の愛妻に先立たれた寡夫の話になった。
その人は妻との毎日の散歩を老後の楽しみにしていた。しかし、ガンで妻に先立たれてからは家に閉じこもり老いて弱る一方だった。

その彼が最近、散歩を始めたと知人は話した。彼は亡き妻より若い散歩相手の未亡人を見つけ、毎朝嬉々として二人で散歩を続けていると話した。

希望を次々と見つけられる人は幸せなのかもしれない。
しかし、私の作品を的確に理解してくれる感性を見つけるのは難しかった。今2年4ヶ月を経て、ようやく自分自身で評価することで、長いスランプから抜け出しつつあるようだ。

画像「夜明けのダンス」
満州生まれの友人の依頼で、モガ時代の母を背景に大陸をイメージして描いた。
母は奔放だった。大の銭湯好きで、祖母にお風呂へ行くと言って出かけ、そのまま下関から連絡船に乗って満州へ行ってしまった。
それから1年後の満州事変前夜に、朝鮮半島島経由で久留米に帰国した。随分長いお風呂だと祖母は呆れていた。

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