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2012年10月20日 (土)

日本の存在感が薄れることを恐れる必要はない。12年10月20日

「日本の存在感が薄れて来た」と今各方面で危惧されている。しかし、その意味が今ひとつ分からない。多分、経済上の損失があるくらいの意味だろう。たとえばソニーがサムソンに負けて日本は存在感が薄くなった、とかのたぐいだ。

ではサムソンは世界の人々を幸せにしただろうか。サムソンは大量生産で効率よく作って安く売って貢献していると答えるだろうが現実は違う。サムソンは世界から仕事を奪い取り、失業者を増やしている。製品は少数の企業が効率よく作るより、沢山の国で沢山の企業が非効率に製造する方が、多くの人が職を得られて潤う。それに、テレビが今程に極端に安い必要はない。

自国語よりも英語が巧みになって、自己主張ばかりして得られた存在感などどうでも良い。日本は存在感がなくても立派に生きて来た。我が国の千数百年の歴史上、日本に国際的な存在感が生まれたのは最後の百年くらいのものだ。

存在感がある国は幸せだろうか。
存在感のある超大国の米国は第二次大戦以降、休むことなく戦争を続けている。ロシアも、かっての大英帝国も、昔と今の中国も、戦前の日本も、同じように存在感があったが、争いの絶えない国だった。そのような国が幸せだとは思えない。

例えば学校の教室では、実力はあるけど乱暴で自分のことばかり主張する子と、目立たないけど頭が良くて真面目な子と、ただ悪いだけの子と、その他大勢に分けられる。

それを世界に例えると、日本は二番目の目立たないけど頭が良くて真面目な子に一番に近い。目立たないけど乱暴ではなくて役に立つ子が本当の意味での存在感のある子だ。そのような国こそ世界を暮らしやすく平和にすると思っている。

ちなみに、一番の自己中の子は中国で、ただ悪いだけの子は北朝鮮だ。それらを隣国に持つ日本は、彼らのごり押しにいつも悩まされている。

江戸時代の日本は世界で存在感はなかったが、当時は戦争放棄した世界唯一の平和で安定した国だった。その三百年に、世界に誇れる独自文化を生み出した。動物愛護法と軍縮を世界最初に成し遂げたのも江戸時代だった。

昨日、電車の中で女子高生が鏡を見ながら延々と髪の分け目の位置を修正していた。とても可愛い子で髪の分け目が数本違ったとしても可愛さには変わりないのだが、そのこだわりを見ながら日本の存在感を考えていた。

私と同じように彼女を眺めていた他の数人の乗客はバカバカしいことを続けていると思ったかも知れない。
私はその繊細さが世界に誇れる日本文化や産業を醸成し、製品の僅かな差を一瞬で判別する能力が培われたと思った。

「オタク」は負の意味で使われているが私は逆だと思っている。世界を良くするのは各分野のオタクたちだ。オタクと老人大国の日本こそ、未来世界をリードする役割を担っていると思っている。国際的な調査結果で世界一創造的な国は日本と評価されている。そして、一番評価していないのが日本人なのはおかしな結果であるが・・・日本人は世界一謙遜する国民なのだろう。

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女子高生の光景は京葉線の車内でのことだった。
昨夜は遠方から上京されたお客さん姉妹を案内してディズニーシーへ行った。

おつきあいなら銀座辺りでも済むのだが、ディズニーシーの人気アトラクション、ビックバンドビートは10回ほど行っているのに一度も見ていない。是非とも抽選に当たって聴いてみたいとシー行きを姉妹にお願いした。しかし、残念ながら今回も外れてしまった。

音楽に詳しい方の話しでは、ニューヨークのブロードバンドを模した劇場での相当にクオリティの高いショーで、他は観なくていいくらい素晴らしいらものらしい。それだけに高競争率で、よほど空いている時期に一人で行かないと見られそうにない。外れた後、ブロードウェイ劇場の中をガラス窓越しに三人で眺め「観たいなぁ」とため息をついた。

長年シーには来ているが、夜の園内は以前と変化して来た。昨夜は花金の所為もあり、会社帰りのサラリーマンが多く、男ばかりのグループが楽しそうに飲んでいる光景がそこかしこにあった。

初老の夫婦連れも一段と増えていた。
以前から予想はしていたが、園内で飲み食いしたり、ショーやアトラクションを楽しめるコストパフォーマンスの良さが広く知られて来たようだ。殊に平日18時からは3300円と安く人気がある。

案内した姉妹はディズニーが初体験だった。
お姉さんはアーティストで、妹さんの仕事は大学での発生分化生物学関係だ。アートも理系も話しの合う分野なのでとても楽しかった。

ゴンドラに乗ったり、ハロウィーンの飾り付けを眺めながら散策し、適当に休んではビールを飲んだりしている内に、あっという間に閉園時間が来てしまった。
今も雨上がりの美しい夜空の、アラビアンコースト上の三日月が夢のように記憶に残っている。

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画像「おじいちゃんのバス停」

昔 おじいちゃんと おばあちゃんは ドングリ山に すんでいた
おばあちゃんが 死んでからは
おじいちゃんは ぼくたちと くらしている

最近 おじいちゃんは おばあちゃんが 死んだことを わすれてしまった
それで毎日 おばあちゃんが待っていると思って バス停へ出かける

Bus_xx

Ma_3

Ma_4

Ma_5

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