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2012年10月25日 (木)

原爆ドームから大切な心を受け取った気がして、物見遊山は止めそのまま帰京した。12年10月25日

23日は日帰りで広島へ行った。広島グリーンアリーナで福祉関係の全国大会があり、私の書いた介護についてのエッセイの受賞式を兼ねていた。

起床は午前3時半。寝付けず1時間ほどまどろんだだけで体も心も重い。シャワーを浴び、急いで朝食を済ませると4時。バックに、日帰りから気が変わっても泊まれるように旅行用品を詰め込み家を出たのは4時45分。赤羽駅まで歩いて、早朝の空いた京浜東北線で東京駅に6時に着くと、新幹線"のぞみ3号"はすでに入線していた。

初めての新型車両だ。車両間のドアは自動式でトイレも洗練されている。やや、列車特有の匂いが気になったがすぐに慣れた。乗客は1車両に10人ほど、広島までの4時間に少しでも眠っておきたいが眠れない。

列車は真っ暗な山や街を疾走し、浜松辺りで曙光に包まれた。夜明けの静かな浜名湖が寝不足の心に染み入る。
東京を離れると住宅地も草木も汚れがなく瑞々しい。低く暗い雲から時折雨が落ち雨粒が車窓を流れる。町の間に田園をゆったりと流れる川が現れると旅へ出た実感がわいて来た。

名古屋でビジネスマンの乗客が増えた。震災以来、西日本は経済活動は活発になったと聞く。
関ヶ原辺りから激しい雨。時速300キロの高速では雨水は車窓を水平に流れる。この辺りは昔と変わらず自然豊かだ。京都が近づき雨がやむと、山腹を這い上がる雲が水墨画のように美しい。

京都駅で車内はほぼ満席になった。所々に寺院が見えると途中下車したくなった。
列車は内陸を走り、期待した瀬戸内海は見えず、遠く明石海峡大橋が見えただけだった。旅なら在来の山陽線の方が旅情がある。

広島へは定刻の10時6分着。雲間に青空が見え大気は澄み渡り冷涼。広島グリーンアリーナは歩ける距離だが10時半集合なのでタクシーにした。

「飛行機は断然速いけどぉ、広島空港は山の上じゃーけ、天気が悪いとすぐに閉鎖して博多までつれていかれますぅ。その時は新幹線で引っ返すことになりますけぇ、やっぱり、真っすぐ来た方が間違いないですよぉ。」
運転手は東京から新幹線で来たと言うと広島訛で解説してくれた。広島は山間を埋めるような街で緑が多く公園のような街だ。川が多く砂地なので高層建築は少ないと運転手は話していた。

広い会場では担当者たちが待っていた。
すぐに受賞者たち10人ほどは演壇袖に集められ挨拶の仕方や立ち位置が細かく教えられた。担当の女性たちが美しいので楽しい。エッセイ最優秀賞の私は先頭で間違えると全員がつられるのでしっかりと覚えた。

それから会場内での写真撮影が繰り返された。今まで経験している気楽で大雑把な美術の授賞式とはまるで違う。美術系では皆適当な格好で来て賞状と賞金をもらうとパーティで楽しく飲み食いしていた。
写真撮影の間、広い演壇では余興の八岐大蛇の神楽が続いていた。素戔鳴尊-すさのうのみこと-と、とぐろを巻く八匹の大蛇が闘い舞う姿はSFのようで面白かった。
やっと、大会本番に入ると県知事・市長・政府官僚・大会理事の演説が始まり強い睡魔に襲われた。

1時過ぎに授賞式から無事解放された。会場では延々と各方面からの講演が続いていたが、急いで外へ出て原爆ドームへ向かった。広く清潔な公園の楠・桜を主体にした樹木が美しい。

中国、韓国を経て日本に来た欧米の旅行者は一様に日本の街の清潔さや礼儀正しさに驚く。まるで隅々まで掃除機をかけたように美しい街に、公共交通機関もアンモニア臭がする欧米の地下鉄と比べて清潔だ。人々は優しく穏やかで、交通信号の赤では車が来なくても渡ることはしない。前後して歩いていたバックパッキングの外国人旅行者たちは、私が信号待ちしている間にさっさと渡ってしまった。

広大な東京と違い地方都市はどこもこじんまりしていて目的地にすぐに着いてしまう。樹林の上に遠くみえた原爆ドームにもすぐに着いてしまった。

原爆ドームの鉄骨だけになった丸屋根のシルエットが空を背景にキリストの茨の冠のように見えた。
幼少の頃から幾度となく見て来た原爆の映像がその時突然に心に迫って来た。失われた膨大な命に後遺症で苦しむ人たち。争いでは何も解決しないと思った。受け止めたもので心が一杯になり、他は何も見たくなくなった。もっと遊ぶことも、尾道あたりに泊まることもできたが、そのまま夜の東京へ直行した。

夜来の雨は去り、今朝は素晴らしい快晴だった。
旅臭くなった衣服を総て洗濯して大掃除をした。
ベランダ近くの、母がいつも座っていた椅子は朝の陽射しに包まれていた。
「マー、ほら出来たよ」
ふいに母がこちらを見たような気がした。母はビーズ細工などが完成すると嬉しそうに私に見せていた。その頃と同じ明るい陽射しなのに、今はどこか寂しい陽射しだった。

画像「おじいちゃんのバス停」

霧の朝 山のベンチには ホオの葉が はってあった
ホオの葉には ヘタな字が 書いてある
「このベンチで おまちください ドングリ山行きの バスがきます」
おじいちゃんは 「ほほう 本当だったのか」と 感心した
少しまっていると 霧の中から 山バスが スルスルとやってきた

「おじいさん おのり下さい」
山ウサギのしゃしょうさんに よばれて ぼくたちは バスにのった

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