« 自閉症若者の優れた才能を潰して行く指導。12年10月16日 | トップページ | 日本の存在感が薄れることを恐れる必要はない。12年10月20日 »

2012年10月17日 (水)

NHKあさイチ「出生前検査・私の選択」は倫理ではなく社会問題だ。12年10月17日

今朝のあさイチ「出生前検査・私の選択」はダウン症を例にして羊水検査を取り上げ、大変に重い問題になっていた。私見だが、これは倫理上の問題ではなく社会システムの問題だ。もし重症の障害者が生まれても、それを受け入れる体制が社会にあれば問題は少ない。

その意味でダウン症の子供を抱える東尾理子・石田純一夫婦の言葉は示唆深かった。米国で暮らしたことがある東尾理子によると、このような議論は米国では起きにくいと言う。多様性を許容する米国社会ではダウン症を始めいかなる障害者もごく自然に受け入れられている。米国は無保険社会だが、障害者対策が大変充実しているからだ。

もし日本が障害者を受け入れるシステムが整っているなら気にせずに産めば良い。東尾理子・石田純一夫婦は裕福で、ダウン症の子供でも一般家庭よりゆとりをもって育てられる。しかし、日本の未整備な療育体制では家族は大きな負担を強いられる。石田夫妻の理想的な姿勢を一般に当てはめるのは酷だ。

では、羊水検査で子供の障害を知った時の親はどうすべきか・・・番組投稿に「羊水検査で堕胎するのはダウン症への差別だ」があったが誤った認識だ。堕胎することと産まれ育っているダウン症の人たちへの差別を同列に比べることは出来ない。まして染色体異常が見つかって堕胎した者を殺人者とか命の選別だと非難するのはとんでもない差別だ。これは社会的問題で倫理上の問題ではない。

そもそも生体は異常な染色体の胎児が出来ると流産する生理システムになっている。それでも生まれるのはそのシステムが正常に働かなかっただけのことだ。もし異常による堕胎が殺人なら生理的な流産も子殺しになる。ただし、染色体異常の範疇は社会の支援体制で広くも狭くもなる。

昔は異常な子供が産まれると産婆さんが息を止めて死産にしていた。貧しい国では今も行われていることだが、それを我々が倫理的に間違っている殺人行為だと安易に非難はできない。産婆さんたちは人体の正常な生理作用の流産を代行しているのに過ぎないからだ。更に、その背景に障害者を産めば家族全体が危機に瀕する貧しさがあることを理解すべきだ。

私は一人で母を在宅介護し在宅で看取った。それが出来たのは体が丈夫だったこと、職業が絵描きで在宅で仕事ができたこと、家事が元々得意で医学知識も一般より豊富だったことにある。

だから、私がした介護を世間一般の人に薦めたことは一度もない。当然ながら、それが出来ない人を非難したこともない。

障害を持つ子供を育て上げた人は立派だ。しかし、彼らが羊水検査で異常を知り堕胎した人を責めてはならない。

羊水検査で異常が見つかった場合の答えは難しい。
自分の能力と周りの状況、それらを慎重に考えて決断し、産んでも産まなくてもどちらかが正しいとは人には判断できない。それは運命だと悩む他ないことで、殺人だと非難したり、立派だと褒め称えられるほどに簡単なことではない。

画像「おじいちゃんのバス停」

「このバスは ドングリ山へ 行きますか」
バスが 来ると おじいちゃんは いつも 同じことを聞いた
「いえ ドングリ山へは 行きません」
車掌さんは いつも すまなそうに 答えた

Bus2x

Ma_3

Ma_4

Ma_5

|

« 自閉症若者の優れた才能を潰して行く指導。12年10月16日 | トップページ | 日本の存在感が薄れることを恐れる必要はない。12年10月20日 »