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2012年11月11日 (日)

二年四ヶ月を経て、献体した母の遺骨が白菊会から帰宅した。12年11月11日

昨日は日医大講堂での献体の白菊会合同返骨式に姉と出席した。戻るのは16体。学長を始め、関わった教授、医学生、看護学生の挨拶は簡素だが心のこもったものだった。殊に、式典の最後の看護学生たちのナイチンゲール誓詞が心に響いた。

式典の後、解剖学教授のOさんと雑談した。解剖学は俗世と離れた研究一筋の世界で、Oさんはとても誠実な方だ。
母を献体した日、来訪された助教授の方に母の両膝のチタン製人工関節を貰えないかと話した。そのことは教授にも伝わっていて、保管瓶に入れたチタン製の関節が用意してあった。献体の日、私はちらりと話しただけで、伝わっていないと思っていたので、その誠実さがとても嬉しかった。

左右の人工関節はそれぞれ標本を入れる密封瓶の防腐剤水溶液に入れてある。関節は乾燥させ、母の組織が付着した接続面に樹脂を含浸させた上で石膏で固めてオブジェを作ろうと思っている。空になった瓶はカリン酒を漬けるのに最適なので、姉にやると言うと「いらない」と拒否された。

帰りは姉と千代田線千駄木駅まで歩いた。
道々、姉は母の墓をどうするのかと聞いた。私は墓などどうでも良いと思っているが姉にはそれは出来ない。それで、樹木葬について話すとすぐに賛同した。
しかし、安い樹木葬でも貧乏絵描きには大きな負担だ。凡人の姉には世間一般のようにお詣りできる場所が必要なのだろう。場所は追い追いネットで調べて後は姉に任せることにした。

遺骨は三つに分け一つを樹木葬にする。残り一つは母の遺言に従って仏壇の母愛用の信楽焼の湯のみに入れて保管する。そして大部分は粉末にして野の花の種と一緒にあちこちの母のゆかりの地へ撒きたい。春になって草花が開花したらそれを母の魂と思うことにしている。ただし、違法にならないように撒く場所は慎重に選ぶことにしている。
姉とは千代田線から乗り換えの京浜東北線西日暮里駅で別れた。

赤羽駅からは母の車椅子散歩の帰り道を辿った。母が親しくしていた床屋さんを覗くと主人は散髪中だった。ガラス越しに「やぁ」と手を振ると、彼はすぐに友禅染の風呂敷に包んだ四角い箱に気づいた。
「お帰りになったの」
出て来た彼は遺骨に手を合わせた。
突然に、それまで押さえていた哀しみがこみ上げ挨拶もそこそこに辞した。

住まいの1階エントランスには、母が白菊会に向かう時に乗ったエレベーターが止まっていた。エレベータは三つあるが、それだけが遺体を載せられるように奥行きを広くできるように作られている。白菊会へ向かったあの日のことが走馬灯のように想い浮かんだ。

「本当に久しぶり。やっぱり家は良いわね」
玄関を開け母の部屋に遺骨を置くと、と母の明るい声が聞こえたような気がした。
仏壇の前の台を片付け遺骨を置く場所を空けた。その時、母が好きだったオルゴールに触れて、飾りのグラスファイバーが七色に光り「星に願いを」のメロディーが流れ始めた。長く動かしていなかったので、電池はすぐに切れて、メロディーだけを奏で続けていた。

今、2年4ヶ月のフワフワとした存在感のない日々から現実の重みが戻って来た気がする。現実の重さには煩わしさが伴うが、それは嫌なことではない。

11月に入ってから、PCもTVも殆ど止めたままで過ごしている。この二つの電子機器は素晴らしい文明の利器だが、同時に貴重な人生を蚕食して、私を酔生夢死に陥らせているように感じる。二つを止めてからは自分の時間がゆっくりと、しっかり流れ始めた。


画像「おじいちゃんのバス停」

山バスを待っていた ベンチの木は
夏休みの間に大きく成長して うっそうと葉がしげった
おじいちゃんと 何度か ベンチの木で 休んだ

でも 秋がくる前に おじいちゃんは 死んでしまった
それからは ぼくは 一人で うら山へ出かけた

ある日 キツネが先生になって
山の動物たちに 木や草の呼び名を教えていた

"おれたちが カエルの手と呼んでいる葉っぱは 人間はカエデと呼ぶ "
"おれたちが ヤマネのしっぽと呼んでいる花は 人間は ワレモコウと呼ぶ"
と 言った ぐあいだ

動物たちは すぐに ぼくに 気づいた
「心配するな じいさんは ばあさんと 幸せに暮らしているぞ」
キツネは 大きな声で教えてくれた

おわり


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

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