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2012年11月15日 (木)

大量の魅力のない商品が購買意欲と幸せを奪っている。12年11月14日

母の遺骨が帰宅してから、色々なことが起こる。
長く会っていなかった母が親しくしていた人と、この二日間に次々と出会った。それはまるで、母が呼び寄せたように思える。

昨日は姪が缶ビールを下げて母の遺骨に会いに訪ねて来た。
幾つになったと聞くと、そろそろ50歳だと言う。私には姪の子供の頃の記憶が鮮明で、年月の過ぎる早さに愕然とした。

母の遺骨を間に置いて、二人さしむかえでビールを飲んだ。
「おじさんの最期はどうしたいの」
突然、姪が聞いた。
「延命治療は絶対拒否。自分の墓はどうでも良い。無縁仏にしようと、海に流そうと好きにしろ」
そう言ってから、延命治療だけはしないように念を押しておいた。うっかり入院させられて、死にかけたまま2,3ヶ月も無明の闇を彷徨わせられてはたまったものじゃない。そのうち、文書にして署名捺印して渡しておくと話した。

姪は3年前に死んだ私の姉である母親の骨の一部を日南の海に散骨すると話した。それならばと、母の骨を少し分けて散骨を託した。渡した後、透明な南の海に散って行く母と姉を想った。
夕暮れは早く、姪を送り出すと突然に寂しくなった。

今日は大型犬の小次郎君に会った。彼と会うのも久しぶりで、これも母が呼び寄せたのかもしれない。飼い主のKさんとしばらく一緒に歩いた。今日の大気は冷たく澄み切っていて、夕雲がとても美しかった。カメラを持参しなかったので、しっかりと記憶に留めた。

小次郎君は公園で4時半に流す「夕焼け小焼け」のメロディに合わせて遠吠えをした。その一瞬、老犬の体に野生の力がみなぎり、公園の木々がアラスカの針葉樹林帯のように想えた。

小次郎君は母の最期の三日程前に訪ねて来てくれた。その時、意識が朦朧としていた母がしっかりと何度も彼を呼んだ声が今も記憶に残っている。

高架下のビバホームで母の人工関節を固めるための焼石膏を買った。
その後、陳列棚の多彩な家具や電気製品を眺めながら、欲しいものが一つもないことに気づいた。殆どが中国で作られた商品で極めて安価だ。この大量の魅力のない商品の洪水が、今の日本から購買意欲を奪っているのかもしれない。

この大量生産の商品群は人を幸せにしない。現在の経済システムでは壊れる前に破棄し、次々と買い替えて行かないと破綻する。しかし、それを続けて行けば資源は枯渇し、地球は廃棄物で埋め尽くされ汚染される。

私が使っているシャンプーは20年前のポンプ式瓶で、中身を次々と詰め替えながら使っている。そのポンブは今も壊れず使うことができる。そのように頑丈な日本製品を我々は惜しげもなく破棄し、得られたのは漠然とした不安だけだった。

以前はとても欲しかったバソコンやテレビにまったく魅力を感じなくなった。
それらが人生の貴重な時間を奪っていると気づいたからだ。真に生きるための行為なら充実感がある。しかし、時間潰しのための行為は虚しさしか与えない。

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先日の夕雲。住まいの玄関前から。

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新河岸川河畔の桜の紅葉。

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