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2012年11月16日 (金)

父と母は陰陽対照的だが、ペットとアート好きは共通していた。12年11月16日

水道の水が冷たくなった。そろそろ炊事手袋が必要になりそうだ。

昨日、お供えを買ってすぐに飾った。ついでにクリスマスリースも飾った。
先日、経団連会長が深刻な顔で先行きの暗さを語っていたので、出来ることは早めにやっておくことにした。

狭い住まいなのに殆ど気がつかない一角があった。大きな絵が飾ってある壁の右上で、いつも絵ばかりが目に入るので、その箇所へ視線を移すことはなかった。

今朝、偶然にその場所を見上げると川越大師座像と大黒天と不動明王のお札が三枚並んで貼ってあった。お札は、こちらへ引っ越して来た時、友人と川越太師喜多院にお詣りした時に受けたものだ。それから15年間、ほとんど忘れていたのはとても不思議なことだ。

先日から日当りの良い母の部屋のベットで寝ている。夏場は窓を開け放っておくので下の車の騒音が煩いが、窓を閉めた今は聞こえなくて陽射しで布団がふっくらとして温かく心地よい。

その陽射しのように母は暖かい人で、想い返すと笑顔と明るい声が蘇る。対して父は暗い人だった。父の笑顔の記憶は殆どなく、口を開けば小言ばかりで私たちはいつも敬遠していた。

その父が出張で留守にすると分かると、私たちは父の目の前で小躍りし万歳した。父は内心複雑だっただろうが、気がつかないふりをしていた。もし、父が本当に陰湿な人だったら激怒する訳で、それがなかったところを見ると、私たちが思っていたほど暗い性格ではなかったのかもしれない。

T_2写真は二十代の母で東京でモガをしていた頃だ。父は小柄で貧相で、大柄で美人の母とは対照的だった。

若い頃、母は映画会社から幾度となく女優にと誘われたが断り続けた。母が本当になりたかったのは手芸家か絵描きだった。だから母は、私と同居した人生の終わりに一日中手芸に熱中し、公募展で大賞や様々な賞を取った。

対して父は生涯風采は上がらず、なぜ母が結婚相手に選んだのか理解できなかった。

後年一度だけ、なぜ父と結婚したのかと母に聞いたことがある。
「出会った頃は優しくて繊細で、本当に思いやりのある人だったの」
母はそう答えていた。今思うとそれは本当のことで、度重なる仕事の失敗が父の性格を変えたのかもしれない。

それにしても、実父をなぜ相手に選んだのかと質問したのは自己矛盾に満ちている。もし、母が父を選ばなかったら私そのものが存在しないからだ。

晩年、私が母の介護を始めた頃、私を残してくれた父に母は本心から感謝していた。介護には様々な条件が必要だ。家で自由に仕事ができること。繊細な優しさに家事能力。どれも、父の血を受け継がなければ得られないものだ。

風貌も性格も対照的だった両親に幾つか共通点があった。二人とも無類の動物好きで、いつも苦虫をかみつぶしていた父が、犬猫を相手にすると相好を崩し、私たちには絶対に見せたこともない笑顔になって優しく話しかけていた。

もう一つは美的センスだ。母が大胆奔放な作風であったのに対し、父は繊細で色彩感覚はとても良かった。今思うと、やや多めの割合で父の才能を私は受け継ぎ、私は絵描きになることができたようだ。

昨日は散歩道で小型犬のぶんちゃんに会った。
以前、絵の納品に向かう途中に知人に会って絵を見せていると、ぶんちゃんの飼い主が通りかかって絵を見せてくれと言った。飼い主とは面識はなかったが、快諾して見せると家のぶんちゃんを描いてもらえないかと、その場で頼まれた。

その完成した絵が下の画像だ。その頃は絵のようにとても元気な子だったが、昨日会うと少し老いていた。
「若い頃のぶんちゃんを描いてもらって本当に良かった。大切に飾って毎日眺めていますよ」
彼女は嬉しそうに何度も礼を言った。絵描きはそのように言われるのがとても嬉しい。沈みがちだった気分が少し明るくなった。

Bun_2

Ma_3

Ma_4

Ma_5

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