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2012年11月21日 (水)

ただ生きていることはとても難しく、生きる目標は必要だ。12年11月21日

日南市大堂津の、子供の頃に可愛がってくれたお隣の奥さんから電話があった。
「マーちゃんが好きだった金柑を送ったよ」
今、85歳の彼女は子供の私へ言うように話した。日南の訛は優しく語尾が伸びる。彼女の言葉を聞いていると気持ちが温かくなった。

絵の仕事部屋は北向きが良いとされている。南向きだと陽射しの変化が大きく却って絵は描きにくい。だがその分、住まいの中で一番寒い。それで今朝、窓全面にプチプチを貼り込んだ。12月に貼った去年より2週間は早い。貼り終えると15度だった室温が16度に上がった。

母の介護中は我ながら驚く程に強く生きていたのに、最近、生きる目標を失ってしまった。
「マーが強い人間で本当に良かった」
生前、母はよくそう言っていた。その頃の私はどんなに追いつめられても、なにくそと跳ね返していた。何としてでも在宅で母を看取ろうと決意していたからだ。

その目標がなくなった今は絵を描くのも気怠い。イメージは溢れるように湧き出るのに、それを具体化する意欲が湧かない。それでも仕事なので無理して描いている。今の作品を自己採点すると母と死別する以前よりクオリティーは高い。今年7月の個展でもそれらは評価されて売れた。しかし、「いいね」と母が心を込めて褒めてくれた言葉の100分の1の感動もない。

生まれてからずーっと母に絵を見せていた。もうすぐ70になる者として恥ずかしいが、母を失ったことは大きな痛手だ。プロである以上、自分の作品を厳しく採点することも、どう描けば良いかも十分に分かっている。それでも、本当に見せたい相手がいなくなったのはとても辛い痛手だ。

先日、自然公園で母が親しくしていたTさんに3年ぶりに会った。彼は80代半ば。現役の頃は相場師で、今は都内各所に家作を持ち悠々自適の生活だ。以前はかくしゃくとして、言葉の切れも良かったのに口ごもり、すっかり老いていた。母が2年半前に死んだと伝えると、とても寂しそうな顔をした。

彼の奥さんもすっかり弱って買い物にも行けなくなったようだ。子供はいるが親の財産をあてにして生前分与を求められ仲違いしたままだ。資産家なので、もっと弱れば子供の世話にはならず高級老人介護施設に入るのだろう。老人社会は3,4年をスパンに入れ替わって行く。今、自然公園へ行っても、母の知り合いと出会うことはない。

医療番組は努めて見ている。長生きが目的ではなく、少しでも長く死ぬまで働いて自力で生きられるためだ。がん治療についての番組も見ているが役には立たない。取材されてる患者たちは新しい治療法を見つけるのに躍起になっている。その気持ちはとてもよく分かるが、がんは出だしで決まる。もし、その時機を逸したらあくせくせずに残された人生を楽しむのが最善の方法だ。

仕事部屋の窓にプチプチを貼り終えてから洗濯をした。
それから食材を買いに川向こうのライフへ出かけた。北風が冷たい。橋のたもとでいつも見かけるホームレスが空き缶を整理していた。彼は50歳くらい。毎日、古自転車に集めた空き缶を満載して来て、その場所で小さく潰している。どういう事情でその生活に入ったのか分からないが、日本の極貧層の6割は生活保護を恥じて申請しないと言う。彼もその一人なのだろう。

勤労意欲のある労働者たちから仕事を奪った今の経済システムは間違っている。そこで優先されるのは産業であって人ではない。例えば、韓国のサムスンは世界有数の優良企業になったが、その収益は韓国国民のためになっていない。産業の利益は庶民の頭上高く飛び交うだけで、地上まで舞い落ちることはない。

生活必需品を大量生産で安く作るのは正しい。しかし、それ以外は人手をかけた少量多品種生産にして仕事を広く行き渡らせるべきだ。前々回も書いたが、無駄に安いだけの中国産の雑貨が世界に貧しさを拡大再生産した元凶だと思っている。

写真は母を最後にリハビリさせた公園。
死の10日前までここに連れて来ていた。最後の日、母に手すりに捕まらせて介助したがどうしても足がなえて立てず、リハビリを諦めた。母はその時、自分でもダメだと感じたようだ。それを境に急速に弱って三日後には寝たっきりになった。そして、一週間後に死んだ。

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