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2012年12月14日 (金)

IGZO液晶・半導体で日本は大逆転。冬木立 夢見るように 青空へ 12年12月14日

夕刊で経済悪化を伝えていた。対中貿易の減少が響いたようだ。しかし、中期的には円安で輸出競争力が増すので好転する可能性は大きい。

最近の明るい産業ニュース。
シャープのIGZO(イグゾー)技術採用新型液晶ディスプレイが製品化されて、ドコモ・スマートフォンAQUOS PHONE ZETA SH-02EとKDDI今年末発売タブレットAQUOS PAD SHT21に採用されている。IGZOは東京工業大学細野教授と科学技術振興機構の創造科学技術推進事業とのプロジェクトで発明された技術で、複数の特許が成立している。

IGZOとはインジウム(In)・ガリウム(Ga)・亜鉛(Zn)の酸化物のことで酸化物半導体の一種。IGZOはLSIや液晶ディスプレイなどに革新的進化をもたらす夢の技術だ。具体的にはIC発明以来、使われてきたシリコンがIGZOに置き換わる可能性があり、大面積のガラス面に半導体などを形成可能になる。将来的には高価なシリコンウエハーやアモルファスシリコン基盤が不要になる。更に電源を切ってもデータを保持する記憶素子が容易に作れ、マイクロプロセッサなどのLSIの消費電力を大幅に減らせる。

今年6月に半導体エネルギー研究所は、IGZOを使ったマイクロプロセッサを試作した。その時、音楽プレーヤーのアプリケーションでは消費電力が従来の100分の1の結果を出した。

液晶ディスプレイについても消費電力を5分の1〜10分の1に抑えられる。その結果、スマホやタブレットの最大の欠点である電池切れが飛躍的に改善される。タッチパネルとしても、従来難しかった細いボールペンを使った入力が可能になる。筆圧によるペン先の微少な変化も検出できるので紙に鉛筆で文字や図形を描くように自然な感覚で扱える手書き入力が可能になる。

この技術は、今躍進している携帯端末分野で大きな役割を果たす。近年国際的な価格競争で韓国に負けっぱなしだった日本の液晶・半導体は大逆転する可能性がある。来年辺りから、IGZOを使った機器での明るいニュースが増えるかもしれない。

先日、理解できなかったのは中国航空機の尖閣領海侵入と北朝鮮のミサイル実験だ。日本の総選挙直前に圧力をかけて右派勢力を封じ込めようとの意図だがまったく逆効果だ。彼らは日本人は脅されたら損得抜きで強く反発することを知らないようだ。

 冬木立 夢見るように 青空へ

東京北社会保険病院下公園の木立。

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先日、版画家の菊池君が佐野洋子の話しをしていた。
それは彼女が身内の遺骨をすりこぎとすり鉢で粉にしようとしたが巧く行かなかったことだ。それについては、私の姪も姉の遺骨をすり鉢で粉にしようとして失敗している。佐野洋子も姪も、煮干しの粉を作るようにゴリゴリ擦ってみたのだろ。いくらカラカラに焼いてあったとしても遺骨は固く木の棒でこすったくらいでは粉にならない。結局、姪は金槌で砕いてからすり鉢で粉にしたが、遺灰に木屑がたくさん混ざったことだろう。

私は理科教室にあるような大型の乳鉢に少量入れ、乳棒でトントンと砕き、ごま粒程に小さくなったらゴリゴリ粉末にした。そして、ふるいにかけて荒い砕片を選り分け更に粉にした。

大柄だった母の遺骨は骨壺一杯にあったので、毎日少しづつ粉にして20日間かかった。粉にすると容積が4分の1程になった。明るい生成り色のサラサラの砂状で、小ビンに詰めて姪や姉兄に分けた。兄姉たちは母ゆかりの海などに持って行き散骨するようだ。

遺骨の主成分はリン酸カルシュウムで良質の肥料だ。樹木葬にするとすぐに植物に吸収される。吸収した野草が青空の下で風にそよぐ姿を想像すると故人が蘇ったようで癒される。墓地の穴の中に置くよりずっと癒される方法に思える。すでに普及している欧米のように、日本でも樹木葬は主流になりそうだ。

その費用は公立と民間では大きく違う。民間は樹木葬と言うよりお墓のアパートを平面に代えただけで、値段も公立の数倍〜10倍と馬鹿高い。散骨も民間業者に頼むと、クルーザーをチャーターした場合など墓を立てるより高くなる。南太平洋への散骨ツアーに参加した知人は、余分に次々と金が要求されて、とんでもない高額になったと怒っていた。その一方、釣好きの知人は好きな海へ家族旅行して、その海に散骨するように妻や子に頼んだ。

遺骨は葬儀業者が粉末にしてくれるが、他所の作業所で粉末にするので他の人の骨と間違えたり混ざったりする可能性はある。私は故人にゆかりのある遺族が時間をかけて丁寧に粉末にした方が心がこもったものになると思っている。

始めに書いた佐野洋子は売れっ子絵本作家で夫は谷川俊太郎だった。ヒット作は「百万回生きたネコ」。昔、私に講談社から絵本の依頼が来た時、参考にするようにと、その絵本を渡された。私はその筋立てに馴染めず、結局仕事は不成立に終わった。当時は仕事が忙しかったので大したことではなかったが、不況の今思うと贅沢な断り方をしてしまった。

それから10年後、知人のデザイン事務所で何度か彼女に会った。知人と彼女は武蔵美の同窓で親友だった。彼女は上の姉と同年齢で雰囲気がとても似ていた。私は上の姉とはうまが合わなかったので、彼女とも合わない気がしたが、話してみると気さくな人だった。

佐野洋子は母が死んだ年の秋にガンで死んだ。知人事務所で撮った彼女の写真が渡さないまま10枚ほど手元に残った。私の姉は彼女の2年前に死んでいるので享年も近い。

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遺骨と一緒に母の両膝に入っていた人工関節を献体の白菊会の日医大解剖学教室から返却してもらった。母を長年支えてくれたチタンとプラスチックの人工関節に深い感謝をこめて、石膏で固め母が作った遺品のビーズ細工を貼付けてオブジェを作った。

耐用年数を7年過ぎたために、チタン部品の圧力がかかるブラスチック表面が壊れている。終末期、何となく母の左膝がガクガクしていたのはこの所為だったかもしれない。

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