平然と生きるのは本当に難しい。12年12月9日
3年前、NHK映像ファイルで「あの人に会いたい-宮崎奕保」を見た。宮崎氏は曹洞宗永平寺78代貫首。大変長命で2008年に106歳で亡くなった。映像はその2年前の104歳の時のものだ。
映像のなかで、彼は老いても雲水と同じように修行を積んでいると語っていた。彼の言葉の中で次の言葉が心に残っている。
「平気で死ねるのが悟りではない。平気で生きられるのが悟りで、本当はこれが一番難しい」
平気で生きるのは本当に難しい。元気で希望に溢れていた若い頃でも、仕事に勉強に恋愛、どれも思い通りにいかず辛かった。歳を重ねてからは、健康、体力、生活能力、肉親、知人、風景と失うものばかりで、平然と生きるのは更に難しくなった。
先日はがん治療中の知人を見舞った。彼は抗がん剤治療でやつれていたが、冗談を交え明るく治療のことを話してくれた。人はそのような明るいがん患者を見ると安堵する。しかし私は、心配をかけまいとする心遣いと、明るさの影に苦しい真実が垣間見えて辛くなった。人の身のことも、我が身のことも、等身大に平然と受け入れて生きるのは実に難しい。
仕事、健康、老い、どれをとっても私の先行きは暗い。それでも平然と生きる他ない。絵描きには我が家は職場でもある。先日、一日の大半を過ごす住まいだけでは、平然と過ごそうと決意した。
辛いことは散歩中に考えればよい。今年の冬の空は美しく、紅葉はいつになく鮮やかだ。多分、知らず知らずの間に自然の美しさが辛さを和らげてくれているはずだ。
昨日は自然公園へ出かけ、緑道公園でチンドン屋に出会った。近くの都営団地の寂れた商店街が雇ったものだ。老人ばかりの団地なので、そんな宣伝を思いついたのかもしれない。こんな人通りのないところで宣伝しても集客効果はないと思うが・・・
自然公園の晩秋の梢が美しかった。
公園で昔なじみに会った。すぐに母の思い出話になり、母の笑顔が素敵だったと彼は話した。とても嬉しい言葉だが、そのような思い出を聞かされると涙腺が緩くなってしまう。深々と挨拶して、涙がこぼれる前に早々に退散した。
私は母と死別するまでは人前で涙をこぼすことはなかったが、最近すっかり弱くなった。生涯で私を一番泣かせたのは母かもしれない。
子供の頃の私は泣かされて帰宅したことは一度もなかった。泣いて帰ると兄姉たちに馬鹿にされたからだ。喧嘩で負けて稀に悔し涙を流すことはあったが、家に入る前にぬぐって気づかれないようにした。
しかし、悲しいドラマには弱かった。当時、母物映画で一世を風靡した三益愛子と言う女優がいた。ストーリーは大抵貧乏な家族が金持ち家族にいじめられるもので、女の子たちは涙を拭くハンカチを用意して彼女の映画を見に行った。男の子たちも同様に泣いたが、終演後の明かりが点く前に、気づかれないように急いで涙を拭っていた。
後年、ドリフターズなどが、それをパロったお笑いコントを盛んに演じたので、その原型は容易に想像できるだろう。
言い訳をすると、泣くことは悪いことではない。一説では、よく泣く人はガンにかかりにくいらしい。ガンにかかっても涙を流したり笑ったりすると、免疫力が強くなり自然治癒することがあるようだ。涙にはストレス物質を排出する働きがある。「ゴースト・ニューヨークの幻」や「タイタニック」を観て大泣きすると気分がすっきりするのはそのような涙の効用による。
帰り、東京北社会保険病院の庭でお茶を飲んだ。
日の入りが早く4時前で夕暮れの暗さだ。これから21日の冬至まで日に日に入り日は速くなる。
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