« 20日NHKスペシャル「終の住処はどこに 老人漂流社会」は重い番組だった。13年1月21日 | トップページ | SF映画「プロメテウス」は人類創造の意味を問う壮大な宇宙神話だった。13年1月26日 »

2013年1月23日 (水)

大宮の鉄道博物館に昭和の消えた風景を想い出した。13年1月23日

今日はH氏と初めて鉄道博物館に行った。開館してからすぐに大宮在住のH氏と行く約束をしていたが、生活に追われているうちに6年が過ぎてしまった。H氏は博物館から歩いて行ける距離に住んでいるが、まだ行ったことはない。

大宮まで赤羽から高崎線で15分。大宮駅からニューシャトルに乗り換えて3分だが、待ち時間が15分と長く、博物館入り口1時待ち合わせに5分遅れてしまった。ニューシャトルは箱形の線路のない軌道をタイヤ車輪の電車が走る形式だ。両側の壁がガイド役で、見た目も動きも玩具の電車の感じだ。小刻みに揺れ乗り心地は悪く、二度は乗りたくない。

鉄道は根強いフアンが多い。館内は平日にも関わらず客層は小さな子供連れの家族から年配まで幅広くいた。各メディアで幾度も紹介されていたので概要は知っていたが、実物の機関車や列車は圧倒的な存在感があった。その中でも、旧型の21形式新幹線の大きさには驚いた。考えてみると新幹線を地面から見たのは初めてだ。運転席は二階建て住宅を見上げるような高い位置にあった。その巨大で重い車体が200キロ以上で走るのだから、それを実現させた日本技術には感動を覚える。

博物館の主役は蒸気機関車だ。むき出しのピストンにクランク、巨大な車輪はじつに美しい。錆び一つなく磨き込まれた鉄の固まりに圧倒的な存在感を覚えた。

古い羊羹色の客車は懐かしかった。私の子供の頃は穴ぼこだらけの砂利道ばかりで、バスは激しく揺れ砂埃も酷かった。だから住んでいた漁師町の大堂津から6キロ離れた隣町の油津へ行くにもバスは使わず、列車を使っていた。

途中には短いトンネルが3カ所あり、客車内にはもうもうと煙りが流れ込んだ。大人たちは石炭の煙りを嫌ってすぐに窓を閉めたが、子供たちは大騒ぎして喜んでいた。

煙りで汚れた乗客の為に、大抵の駅ホームには洗面所があった。温泉町の駅ホームには温泉が、山の駅には美味しい湧水の洗面所があった。
肥薩線のスイッチバック方式で有名だった真幸駅(まさき)の水は美味しい湧水だった。周辺には集落があったが今は住民は消え駅は無人駅になっている。あの湧水の美味さと石炭の煙りの匂いを時折懐かしく想い出す。

戦前、油津は東洋一のマグロの水揚げを誇っていた。港が最盛期の頃、母は久留米から訪ねたことがあった。揚げ場には巨大な本マグロが並び壮観だったとよく話してくれた。しかし、地元の者はマグロを下魚扱いして決して食べなかった。だから、私がマグロを初めて食べたのは上京してからだ。

油津は日南市の中核で映画館も多く、名作洋画が上映されると母は必ず連れて行ってくれた。邦画「ゴジラ」の封切りを見たのも油津だった。伊東藩特産の飫肥杉の積出港として栄えた古い情緒のある港町で、石造りのアーチ橋があった。山田洋次監督の寅さんシリーズでもロケ地に選ばれたことがある。

M13123_1

緑色ビロード張りのクッションに白熱灯。遮光用の鎧窓。窓の止め金具はパチンコのレバーに似ていて、子供たちはパチパチはじいて遊んだ。羊羹色の客車は東京でも昭和40年代まで使われていた。埼京線の前の池袋赤羽間の赤羽線も昔は羊羹色の車両だった。

高度成長期の上野発長距離夜行では、この椅子の下進行方向に新聞紙を敷いて寝た。中には網棚に寝ている者もいた。

年末の上野駅では列車待ちの乗客のためのテント村が特設された。東北へ帰郷する人たちはテント村で同郷の者を見つけては車座になり、盛り上がっていた。

当時の私は暮れになると北国へ旅していた。青森まで20時間以上で郡山辺りで雪が見え始め、それからは車窓は白と黒の雪景色に変わった。暖房はしっかりしていたが、窓際は寒く、人いきれが氷点下の窓ガラスに凍り付き美しい模様を描いた。

北海道へは青函連絡船で3時間くらいかかった。陸奥湾は静かだったが津軽海峡に入ると猛烈に揺れ船酔いした。函館から網走までは更に20時間ほどかかった。

当時は若かったからそのような旅ができたが、今は到底無理だ。当時の北海道20日間周遊券は冬期割引があり1万円ほどだった。だから、若者たちの旅は安い列車が主流だった。

M13123_2

今日はH氏に鉄道博物館入館料から食事とビールまでごちそうになった。彼には昔から世話になってばかりだ。昔、野外彫刻を作った時、彼に美術溶接の工場を紹介してもらった。彼は埼玉から赤羽辺りまで表から裏まで知り尽くしていて人脈も広い。

帰りは彼の家に寄ってお茶をして早めに辞した。夕暮れの大宮の繁華街は個人商店が多くて人通りも活気があった。大宮の街は昭和の香りが鉄道博物館から繋がっているように感じた。赤羽も5,6年前まではそれに似た雰囲気があったが、大型スーパーの進出で個人商店は衰退し、飲み屋に商売替えして味気なくなった。

今日は過去へ旅して来たような1日だった。帰宅しても、次々と昭和の消えた風景を想い出し、一抹の寂しさを覚えた。

Ma_3

Ma_4

Ma_5

|

« 20日NHKスペシャル「終の住処はどこに 老人漂流社会」は重い番組だった。13年1月21日 | トップページ | SF映画「プロメテウス」は人類創造の意味を問う壮大な宇宙神話だった。13年1月26日 »