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2013年1月21日 (月)

20日NHKスペシャル「終の住処はどこに 老人漂流社会」は重い番組だった。13年1月21日

老人が終の住処を持てず、病院と施設を漂流する現実に目を背けてはならない。日本の高齢者は3000万に達し、そのうち一人暮らしは500万。かく言う私もその一人だ。

独居老人の多くは止むを得ない事情でそうなった。私の場合は姉兄総てが協力すべき祖母、両親の介護を28歳から一人で引き受けて三人を在宅で介護し在宅で看取り、気がついたら独居老人になっていた。
番組に登場した独居老人たちも、仕事の失敗、伴侶との死別、子供に恵まれなかったことなどで一人になっていた。たとえ子供がいても、事故や病気、失業などで頼れなくなることはある。

最初に登場の88歳の老人は80歳まで運送業を自営していた。子供はなく僅かな蓄えは妻の療養費に消えて死別後に独居になった。彼は1ヶ月滞在を上限に施設を転々としていた。もし、彼が認知症を発症すれば精神病院での一時収容となり、病院と病院の間を死ぬまで漂流することになる。

認知症や寝たっきり老人を受け入れる特別養護老人ホームは少なく3,4年待ちで自宅待機者は40万を越えている。政府は公的な介護ケアを厚くして在宅を主にしたい方針だが、その域に達するには人員不足の上、膨大な国家予算が必要になる。

日本の国力が衰退して行く現実を思うと、前記の老人のように漂流するか、家族がいればその厳しい労苦に頼る他ない。私の場合、祖母と父の介護は共に認知症はなく、夜昼を母と分担したので、たいして苦労はなかった。しかし、私一人での母の終末期介護は過労のため私が先に逝くのではと案じた程だった。介護ヘルパーの公的サービスはあるが利用には制約が多く、現実には殆ど役に立たない。

在宅介護は二人体制が原則で、それが出来なければ公的サービスは必須だ。まして認知症があればなおさらだ。独居と家族ありの間で介護問題の差はあまりないかもしれない。介護施設は高額民間、低額民間、公立、と様々あり受けられるサービスは天と地程の差がある。

民間施設の利用費は月15万が一般的だが、入所した知人は1週間で家族の顔も分からなくなるほどに認知症が進んでしまった。私の経験でも、個展中に母をデイサービスに預けたら2日で幻覚を訴えるようになった。3日目に慌てて退所させて、自費負担でヘルパーを頼み在宅介護に変えて事なきを得た。もし、予定通り個展期間中総てデイサービスに預けていたら認知症の寝たっきりになっていかもしれない。

施設は合理的に介護してくれるが、老人の心のケアまでは手が回らないのでそのようなことになる。元気な老人なら預けても大丈夫だが、老いが進んでいたら取り返しのつかないことになってしまうので覚悟が必要だ。精神病院収容の場合はおとなしくさせる為に大量の薬剤が投与され、生きる屍になってしまう。親をそのようにされてしまった家族の訴えを幾度となく聞かされた。

番組テーマの独居老人の対策が進んだとしても、現状のままでの進化なら、衰弱か認知症、そして寝たっきりから死へと尊厳を無視された最期を迎えることになる。

番組の終わりに元ヘルパーの女性が始めた民間施設を紹介していた。設備は民間住宅を改造した立派ではないものだが、家庭的で元気な年寄りが弱った年寄りの世話をしていた。入所者の認知症のおばあさんの表情はとても穏やかで明るく、立派な一般施設の入所者の暗い表情と対照的だった。しかも、そこで最期を迎えた多くの入所者がいたのは、一般施設ではありえないことだ。一般施設では認知症発症や寝たっきりになれば精神病院か特養へ転院。更に老衰か病に倒れれば老人病院へ移送されて寂しく死を迎えることになる。

元気な老人に働いてもらうのは、少子高齢化日本ではとても良い解決策だ。政府は立派な施設建設に多額の資金を投入しているが、即刻方針転換すべきだ。税金代納などで公有化された民間住宅を利用して、小規模の施設を街中に多く作るのが合理的で収容者にも優しいやり方だ。

更に良いのは住み慣れた家で人生を全うできることだ。しかし、それには介護サービスの充実が必要で、現状では人員も予算も到底追いつきそうにない。この面でも、元気な老人に働いてもらうのは有効な方法だ。それには様々な規制改革が必要になるが、低予算でできるので少子高齢化の日本には理想的な方法だと思っている。

政府は、見てくれの良い病院みたいな施設を作りたがり、番組にもそのような施設が登場していた。それらの無機質な施設は私には刑務所みたいに寂しく思えた。

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近所の北向きの斜面。

独居老人である私の老後対策は何もない。
若い頃はある程度の蓄えがあったが、三人の肉親の介護、仕事の失敗、絵描きへの転職と続けているうちに総ての蓄えを使い切ってしまった。今は健康維持と仕事での再起に傾注して頑張っている。たとえ備えがあっても明日はどうなるか誰にも分からない。「自己責任」を安易に使いたくないが、現実を思うと結果を粛々と受け入れる他ない。

どのように最期を迎えるか、誰にも大きな関心事だ。精一杯生きた人の多くは、さほど寝込むことなく速やかに死ぬことができる。これは老人三人を介護して学んだことだ。人権論者たちから猛非難されそうだが、老人たちが回りに多大な厄介をかけずに死ぬようになれば、この問題はすぐに解決する。

もし多くの日本人が健康に留意し食事と運動に気をつけたら、日本の福祉環境は劇的に改善する。今の寝たっきり期間が長くて長寿世界一は誇れることではない。その現実は多くの老人の尊厳をないがしろにしている。

しかし、人は自堕落が好きだ。もし自堕落に食べても健康を維持できる美味しい食品を開発したら健康問題はすぐに改善する。加えて、予防医学の助けがあれば、老人たちが死ぬ寸前まで元気で過ごせる長寿社会は可能だ。

人と人とが助け合える社会も大切だ。母の終末期介護ではお隣のご夫婦や知人たちに何かにつけて助けられた。人と人とが心が通じ合える社会は総ての面で心地よい。


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