« 自然公園と韓流ドラマ。13年2月13日 | トップページ | エネルギー政策における原発再起動と、ノンポリ・オタクの怒れる論客・宇野常寛 13年2月17日 »

2013年2月15日 (金)

四季劇場「ライオンキング」の帰りの電車は寂しい光景だった。13年2月15日

13日は劇団四季「ライオンキング」の招待日だった。私以外に二人招待できるので、母が世話になったSさんと彼女の友人を誘った。住まい近くの病院に勤めていた彼女は、母の終末期に毎日のようにお見舞いに来てくれた。

上演する四季劇場はゆりかもめ竹芝駅近くだ。
開演3時間前にSさんと新橋駅で待ち合わせした。彼女とはお台場の海に母の散骨に行くことにしていた。水泳好きの母は昭和初期、お台場の海で泳いでいた。死ぬ前年、銀座に連れて行くと次はお台場に行きたいと話していた。しかし、それを果たせないままに死んだ。

朝から埼京線が止まるほどの強風だったが、ゆりかもめ日の出駅に着く頃は風は収まり連絡船は航行していた。船は中国人の団体と乗り合わせてにぎやかだった。お台場の海は以前より更に綺麗になっていた。岸壁にびっしりと貼り付いている牡蠣やムール貝を中国人たちが珍しそうに覗いていた。

Sさんとお台場の白い砂浜に下りた。波打ち際には瑞々しいアオサが漂っていていた。Sさんと遺灰を分けて撒くと遺灰は風に舞った。二人で合掌してから、近くの店でビールを飲んだ。話すことは自然に母の思い出になった。母の記憶を留める人はこれから次第に減って行きそうだ。

夕暮れ、ゆりかもめに乗って竹芝へ向かった。車窓の夕日を受けた湾岸のビルが美しい。四季劇場へ着くと、彼女の友人は先に着いて隣接の喫茶室で待っていた。館内は平日にもかかわらず招待客と秋田からの高校生団体で満席だった。

去年の招待日も、版画家の菊池氏と「ライオンキング」を見ている。しかし、二度目でも素晴らしく、前回気づかなかった新しい感動があった。座席脇通路を舞台へ向かう踊り子さんたちが実に健康的で可愛い。狂言回しの女性の見事な声量にも聞きほれた。

ブロードウェイ発のロングラン・ミュージカルは本当によくできている。「ライオンキング」はストーリーはともかく、音楽、舞踊、美術の総合力が圧倒的で、最後まで楽しめた。

米国エンタテイメントの素晴らしさは映画も同じだ。先日録画しておいた1998年米国映画「ユー・ガット・メール」を昨夜見たが、本当によくできていた。この映画は1940年製作「街角/桃色(ピンク)の店」のリメイク作品で、旧作の文通の設定がメール」に置き換えられたものだ。

あらすじは、インターネットで知り合った名前も知らない男女がメールのやり取りを通してお互いに惹かれ合っていくロマンティック・コメディだ。
ニューヨークで、キャスリーン(メグ・ライアン)は死んだ母親の絵本店を引き継いでいる。そこに安売りの大型書店フォックス・ブックスが進出して彼女は苦境に立つ。しかし、本当はフォックス・ブックスの若い経営者ジョー(トム・ハンクス)こそがキャスリーンのメール相手だった。現実で対立する二人が、それと知らずに匿名でメールのやり取りをして行くうちに互いに魅かれて行く。そのすれ違いが実にお洒落で巧みだった。

このトム・ハンクスとメグ・ライアンの組み合わせは1993年「めぐり逢えたら」でも好演していた。こちらは妻を亡くして落ち込んでいる父親に新しい女性をと、息子がこっそりラジオ局に電話して募集することから始まるロマンティック・コメディだ。こちらも、実によくできていた。

インターネットを舞台にしたロマンティック・コメディの邦画2005年「電車男」も良かった。
さえない秋葉系の主人公は電車の中で酔っぱらいに絡まれた美人を助けてお礼を言われたことを掲示板に書き込んだ。すると、優柔不断で踏み出せない彼は知らない住人たちから応援されて次々と展開し二人は結ばれる。

これは2チャンネルを舞台にした実話を編集して出版されたものだ。実際は性交渉寸前まで行った書き込みが、独身男性板にふさわしくないと非難を浴びて掲示板から主人公は姿を消した。

「ユー・ガット・メールも「電車男」もネット初期の牧歌的な雰囲気が残っている。しかし今はSNSが主流になり当時より人間関係は複雑で光も闇も深くなった。今はネットを舞台にした牧歌的な恋は成立しにくい気がする。

そのように感じたのは「ライオンキング」を見て帰りの電車の中だ。高崎線で上尾に帰るSさんとは赤羽まで一緒だった。乗車すると腰掛けている20人ほどの中、スマホやタブレットをしていないのは私とSさんだけだった。
「寂しい光景ね」とSさんがつぶやいた。
スマホが普及する前なら、目の前に可愛い女性が腰掛ければ若者は気になって仕方がなかった。それが今は違う。一心に画面を見つめたまま、回りで何が起きようと一瞥もしない。このバーチャルな世界に浸り切っている姿からどのような未来が生まれるのか、想像すらできない。

Sさんとお台場で母の散骨をした後、早世した甥と世話になった知人の墓参りを長くしていないことを思い出した。それで、昨日14日は墓参に出かけた。

まず、十条の知人の墓を訪ねた。夫妻は酒好きだったので、買って来た2合ビンの酒を墓石にかけミネラルウォーターで洗い清めた。少し残った酒は私が飲んだ。前回、墓参した時は母は生きていたので、3年ぶりだ。帰り道、知人たちとの楽しい日々を次々と思い出した。

M132141

帰り道の十条中原の篠原演芸場。大衆演劇の本山として有名である。この道を手前に向かって東十条駅へ出た。

M132142

鴬谷、国立博物館裏の寛永寺の広大な墓地。
甥の墓にお参りするのも久しぶりだ。こちらはミネラルウォーターだけで墓石を洗った。濡れた黒御影の墓石が黒々と美しくなった。

墓碑の没年を見ると平成五年七月享年二十歳とある。今生きていれば39歳の働き盛りだ。彼は友人たちと大宮の居酒屋の開店祝いに行き、その帰りに粋がって大宮駅ホームを通過する貨物列車に飛びつき、途中振り落とされて即死した。酔っていなければそんな無茶はやらないのだが、思い返しても仕方がないことだ。

M132143

帰りは上野駅に向かった。
途中の寺院の境内の一角に古い木造家屋があった。テレビアンテナが屋根に立っているので、寺の関係者が住んでいるようだ。上野駅から高崎線で早めに帰宅した。

帰宅すると姪から電話があった。
「おじさんのことは皆が気にしているから、何かあったら知らせてね」
姪はそのようなことを話した。私はそう思ってもらうだけで十分だと答えた。突然、電話があったのは母の散骨や墓参のおかげかもしれない。

Ma_3

Ma_4

Ma_5

|

« 自然公園と韓流ドラマ。13年2月13日 | トップページ | エネルギー政策における原発再起動と、ノンポリ・オタクの怒れる論客・宇野常寛 13年2月17日 »