寒空に 月の砂漠の ソープ街 この冬最大の寒気が来た。13年2月25日
この冬、最強の寒気がやって来た。日曜の寒い午後、大宮の知人が内輪に公開した美術コレクションを見に訪ねた。大宮の風は赤羽より更に強く、上着を寒気が突き抜けた。いつも通り抜ける昼間のソープ街は乾いた明るさがあった。極彩色の建物の路地から急ぎ足で出て来た青年の、さっぱりした顔が輝いて見えた。
知人宅には先客がいた。作品の中に母が編んだ毛糸のパッチワークのマフラーと帽子が飾ってあったのが嬉しかった。作品を眺めてから皆でお茶をした。凝り性の彼はみんなから飲み物の注文を取った。紅茶の客には庭のレモンの輪切りが添えてあった。私はコーヒーだったが、飲み終えてから食べてみた。新鮮なレモンは皮が厚く香りも高かった。コーヒーは本格的に入れてあり美味かった。
熟年過ぎの集まりでは、話題は作品の話しからすぐにガンや脳梗塞や健康維持に変わった。私の年代が集まると大体その話題に落ち着く。最近、絵ばかり描いて過ごしていたので、こののんびりさにはホッとした。
先日から実家の庭石を処分したいと、ある音楽家に頼まれていたので、顔の広い彼に聞いてみた。庭石は佐渡の赤石と呼ばれ、実家が隆盛な頃に手に入れた希少な名石らしい。
彼は以前、庭石を処分したことがある。その時、依頼した造園業者の説明によると、庭石は古色が付いていないと商品価値がないらしい。言われてみると確かにそうだ。作り立ての庭の新しい庭石は風情がない。そのため、造園業者は手に入れた庭石を何年も空き地に放置して、陽光や風雨に晒して年代を経た古色に仕上げるそうだ。専門分野には一般には分からないことがあると感心した。
客のデザイン系教授のF氏とは絵の話しに終始した。彼は私より年上で作家活動もしていて話しが合った。
「フリーの絵描きの生活は大変で、いつも天国と地獄を行ったり来たりしています」と話すと「人生は上がったり落ちたりがあるから良いですよ。何もなく平々凡々では、死ぬ時後悔します」F氏の返事は妙に説得力があった。
黄昏に辞した。夜空を寒風が洗い清め満月が煌煌と美しかった。寒さは更に厳しく、この冬初めて耳が痛くなった。
帰りもソープ街を抜けた。
寒空に 月の砂漠の ソープ街
ソープ街を歩きながら・・広い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう 朧にけぶる 月の夜を 対の駱駝は とぼとぼと・・の歌詞が想い浮かんだ。
明朝の食材がなかったので、高崎線で赤羽駅へ向かった。上り電車は空いていて、暖房の効いた座席が心地良かった。向かいには足がすらりとした綺麗な人が腰掛けていた。彼女は一心に携帯メールを見ていた。
冬の街 夜汽車の人は 麗しき
浦和駅を過ぎると赤羽まで停車駅はない。暗い住宅地を爆走する音を心地よく聞きながら一瞬眠った。すぐに赤羽駅に着き、イトーヨーカ堂で鶏肉を買った。
帰り道は更に風が強く寒かった。建て替え中の赤羽台団地の暗いシャッター通りを抜けた。昔は有名人が多い団地で、俳優の平幹二朗氏母子も住んでいたことがあった。昔の活気を思い出しながら、一時も留まることなく変化して行く年月を想った。
一夜明けても寒い風は止まなかった。玄関を開けると雪の雲取山が見えた。
寒くても、陽射しに春の気配を感じた。ユキヤナギの新芽も桜の莟も膨らんで来た。ふいに、子供の頃の海の煌めきや、レンゲソウの甘い香りが蘇った。蘇る記憶は死者への思い出に似ていると思った。
ブッダは輪廻転生を信じていたが、それは生まれ変わりや極楽地獄とも違っている。正確に理解するのはとても難しいが、このリアルに再現する思い出のようなものだと思っている。死者たちは思い出のように遺族の心の中に生き続ける。今は存在しないのに、心の中に生き続けることが、ブッタの言う輪廻転生なのかもしれない。
樹木の間から桐ヶ丘を見上げた。右の瀟洒な建物は銭湯だったが今は廃業している。
今日も、散歩をしているとふいに母が語りかけて来た。
「死んでから、もう3年が過ぎたのね。嘘みたい」
母は明るい声で話しかけた。それから「死んだ年の桜は綺麗だった」と続けた。
言葉は実際に聞こえる訳ではなく、記憶が合成したものだ。しかし、妙にリアル感があって、これがブッタの言っていた輪廻転生なのだと確信している。私の体の半分は母の遺伝子を引き継いでいるのだから、それは自然なことかもしれない。
母の遺品は死んだ日に殆ど処分し、思い入れが深い数点を残しているだけだ。一時は、処分しすぎたことで喪失感が深まったが、今はそれでよかったと思っている。2年8ヶ月を過ぎて、ようやく楽しい思い出が蘇るようになった。
最近、今置かれている状況はすべて覚悟の上だったことを思い出した。絵描きに転進した時、意外に生活が維持できたために、野たれ死を覚悟したことを忘れていた。そのことを考えながら、昨日のF氏の言葉を思い出した。
「人生は上がったり落ちたりがあるから良いですよ」・・・「その通りだな」と歩きながら納得した。
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