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2013年2月20日 (水)

「三丁目の夕日」からNHK「メイドインジャパン」は日本の産業史だった。13年2月20日

例年より寒い日が長引いている。燃料費節約のために洗いものは冷水を使う。炊事手袋は使いづらいので、代わりに炊事用柄付きブラシを使い始めた。巧く使うと殆ど手を濡らさずに洗いものができる。洗濯は古い二槽式なので槽内の洗濯物の取り出しは腕を覆うタイプの炊事手袋を使っている。このやり方で、今年の冬は温水を使わずに済んだ。

掃除は掃除機のコードと後片付けが面倒なので、ほうきとちり取りを重宝している。ほうきが入らない場所は充電式の小型掃除機を使う。掃除機は掃除などしたことがない人が設計したのでは、と思う程に使いづらい。国産の静穏設計は助かるが、持ち手にスイッチが纏めてあり、うっかり触れて止めてしまうことが多くて使い辛い。国際競争で負け続けのメイドインジャパンを復権させるには、設計現場の意識改革が必要なようだ。

去年、映画館で見た「三丁目の夕日」を、先日テレビ放映していた。二度目でも、つい見入ってしまった。成功した友人はこの映画が大嫌いだ。「あの貧しい時代の何処が良い」と彼は言う。確かに、水洗トイレは普及していなかったし、暖房も貧弱で貧しかったし、海外旅行も高嶺の花だった。

彼の言っている意味はよく分かるが、懐かしい気持ちは押さえようがない。あの時代、私は若く元気で夢が溢れていた。多くの国民の格差も小さく、皆が横一列によーいドンと駆け出せる雰囲気があった。生活保護もホームレスも今とは比べ物にならないくらい少なかった。人情味も、煩わしいくらい多く残っていた。あの時代に戻りたいとは思わないが、あの時代にあった大切なものも日本人は捨ててしまった気がする。

その後、NHK「メイドインジャパン」最終編の再放送を見た。これは「三丁目の夕日」の続編に見えて仕方がなかった。高度成長期、あれほどにがむしゃらに働いた結果が「メイドインジャパン」だった。

韓国、台湾、中国は日本の成長モデルを取り入れて、急成長して日本は苦境に追い込まれた。更に皮肉なのは、高機能製品は売れると猛進して、気がついたら日本にしか通用しないガラパゴス化していたことだ。

しかし、高機能化への努力を止めれば更に窮地に追い込まれる。必要なのは、時代に柔軟に対応できる機動力だ。しかし、職人気質の日本産業には不得意な分野だ。日本は世界一を狙わずに、地道に高機能部品で勝負するのが賢いやり方かもしれない。

火力発電の燃料輸入で日本の貿易赤字は拡大した。今日発表の1月貿易赤字は円安のため1兆6294億円。その多くを占めるのは輸入燃料費だ。対抗策は省エネと原発再稼働だが、他にも方法はある。

例えば、医薬品は年間1兆円を越す赤字だ。医薬品開発は日本の不得意分野ではない。赤字を生んだ原因は政府の新薬許可が遅すぎること。学閥などの既得権益が研究現場にはびこり、優秀な研究の足を引っ張っていること。政府の研究予算が縮小していることにある。

傍目には官僚と学閥がよってたかって日本をダメにしているように見える。こちらこそ、国家的な戦略が必要だ。もし改善できたら貿易赤字はかなり縮小するはずだ。研究費加算は利用されない地方の高速道路建設を一つ止めれば大増額できる。だが、地方も中央政府も視野が狭すぎる。

金沢工大名誉教授・奥村善久氏が工学のノーベル賞とも呼ばれる全米技術アカデミーのチャールズ ・スターク・ドレイパー賞を日本人で初めて受賞した。彼が電電公社時代、携帯電話の基礎を作り実用化した功績に対するものだ。

彼が研究し完成させた通信方式がなかったら今の携帯電話はなかった。しかし、日本技術が先進的過ぎて世界で突出していたために、日本製品は世界に受け入れられず負けてしまった。

かって日本は真似ばかりしていると西欧から揶揄されて来たが、それは大きな誤解である。日本発の革新的な製品は他にも無数にあった。

もし日本が存在しなかったら・・・携帯もスマホもタブレットも、薄型テレビも家庭用ビデオも、テレビアンテナもトランジスターの実用化も、低公害車も大型タンカーも生まれず、世界文化は今と大きく違っていたはずだ。そして、日本からの技術と技術者流入のない中国・韓国の発展は大きく遅れ、まだ後進国のままだったはずだ。

・・と言うと日本の植民地支配もなかったと反論があるだろう。だが、代わりに欧米が植民地支配して、今頃は英語かフランス語かドイツ語が公用語になっていたかもしれない。なぜなら彼らは日本よりはるかに植民地支配に長けているからだ。
・・・植民地支配を正当化する気はないが、19〜20世紀は一歩間違えば日本も植民地化されてしまう弱肉強食の時代であった。その現実も直視すべきなのだが・・・

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写真は今日の新河岸川。この方角に富士があるが春霞で見えない。

今日は風が止んで陽射しが戻り暖かい散歩だった。公園の遊歩道を、いつも見かける老人が杖をついてソロソロと歩いていた。声をかけると転びそうなので、気づかれないように通り過ぎた。彼の足取りは半年前より随分弱ってしまった。半年後、一人で散歩を続けるのは無理かもしれない。

帰宅してから座右の書、NHK100分de名著「ブッダ真理のこしば」を読んだ。これは長大な仏典を分かり易く短く纏めてあるので重宝している。ブッダは悟った人の意味で本名はシッダッタ。ヒマラヤ南麓の王国の王子である。彼が生まれた時、占い師が「世界最高の王になるか、出家して最高の悟りを開くかもしれない」と告げた。王は驚き、シッダッタが出家しないように、この世の楽しさを際限なく与えた。

彼が成人して城外に遠出した時、よぼよぼの老人や病んだ人を初めて見た。そして、それは自分にもやがて訪れることと知った。彼は瞬時に、人はどんな高い地位でも財産でも救われない弱々しい存在だと知った。彼は29歳で妻子を捨てて出家した。

私はブッタに遥かに及ばない俗物だが、前記のような老人を見るとこの記述を思い出す。しかし、この歳になっても総てを捨てて出家など到底出来ない。仮に生活が安定しても心の安寧は得られないことも知っている。

逆説的だが、人は疲れ果てることで死を素直に受け入れられる。若い頃のブッダのように、生きている喜びが満ちあふれていてもそれはすぐに脆く壊れる。必ず訪れる病や死への予感を受け入れることで、真の生き方ができるとブッタは言っている。

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